「典故300則」その207 ― 2013年04月07日 07:41

今日は中国の年越しの話。 中国では、大晦日は1年で最も大事な日とされ
その夜は家族揃って寝ずに新年を迎えるという習慣がある。それは古い年を
新しい年に持ち越すことで年を取らないという意味で、家族みんながお年寄り
の長寿を願ってのことだそうである。
典故300則その207:守岁 shou sui
中国の風習では旧暦の大晦日、家族が集まり徹夜で年を送り新年を迎える。
これを“守岁”と言う。
唐の詩人、杜甫の《杜位宅守岁》の中では“守岁阿戎家,椒盘已烦花”と、孟
浩然の《岁除夜有怀》の中では“守岁家家应未卧,相思那得梦魂来” という詩
文があり、いずれも“守岁”に言及している。
「典故300則」その208 ― 2013年04月08日 07:41

今日の言葉は“说项”、直訳すれば“項さんについて語る”という処か。 日本
では他人を語る時“仲人口”という言葉がある。仲人が縁談を纏めるため両方
を体よくとりなすことで、転じて“あてにならない話”を言う。では“说项”とは・・・。
典故300則その208:说项 shuo xiang
唐の時代、项斯という知識人がおり、彼の詩は素晴らしかったが、人に知られ
ていなかった。
聞く処によると杨敬之はとても人の才能を大切にしていたので、项斯は自作の
詩集を持って謁見しに行った。杨敬之は彼をとても気に入って、すぐに詩を一首
贈った。“几度见诗诗尽好,及观标格过于诗。平生不解藏人善,到处逢人说项
斯。”その意味は;项斯の詩は素晴らしい、人柄も詩のように好ましい、私は人の
長所を隠しておくことは出来ないので、会う人ごとに项斯の優れた処を語ります。
程なくして、杨敬之の詩は長安の街に広く伝わり、项斯の名は瞬く間に広まった。
次の年、项斯は優秀な成績で科挙に合格した。
後に“说项”、“替人说项”は、他人の長所を触れ回ったり、他人に替わって頼
み事をすることなどに喩えられる。
「典故300則」その209 ― 2013年04月09日 10:36

今日の主役は孔子、彼は側近の弟子達を連れて 14年にも及び諸国を周遊
していた。魯の国を出て、晋、曹、宋、陳、楚などに滞在し、直接庶民の日常に
接するとともに各地の為政者に徳治政治を説いて歩いた。
孔子曰く”人は鳥や獣の社会では生きて行くことはできない。人は人の社会で
しか生きられない。 だからこそ人は自らの手で素晴らしい社会を作り出して行か
なければならん。鳥や獣のように、成り行きまかせにしてはならないのだ。”
典故300則その209:斯文 si wen
孔子が諸国を周遊している時、匡(きょう)の国で、その土地の庶民に軟禁され
てしまった。 孔子は弟子を安心させるように言った。“文王既没,文不在兹乎?
天之将丧斯文也,后死者不得与于斯文也;天之未丧斯文业,匡人其予何?”
その意味は“周の文王が死んでから、学問が此処には無くなってしまったのか?
天の神がもしもこれらの学問を無くすのなら、私は当然それらの学問を知ること
が出来なかった。今、天の神がもしもこれらの学問を無くしたくないと思うなら匡
の人は私をどのようにするだろうか? ”その後、匡の人はとうとう孔子達を解放
した。
“斯文”とは本来周代の学問を言うが、後に“斯文”は知識人の風貌、文人或い
は文化に用いるようになった。 “斯文扫地”とは文人のいない場所、或いは知識
人が面目を無くすことを喩える。
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