「典故300則」その2042013年04月04日 07:36


 今日のテーマは仏教に於ける戒め“十悪”、これはキリスト教徒に於ける
“十戒”に相通ずるところがある。モーセが神から与えられたとされ“モーセ
の十戒”は以下の通りである。

  わたしはあなたの主なる神である。
     1.わたしのほかに神があってはならない。
     2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
     3.主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
     4.あなたの父母を敬え。
     5.殺してはならない。
     6.姦淫してはならない。
     7.盗んではならない。
     8.隣人に関して偽証してはならない。
     9.隣人の妻を欲してはならない。
    10.隣人の財産を欲してはならない。

 典故300則その204:十悪 shi e

 “十悪”とは、もともと仏教の十大罪悪を言う。《未曾有経》の中では、杀,盗,

邪淫,两舌,恶口,绮语,嫉妒,瞋恚,骄慢,邪见を十悪と言う。我が国の古

代の刑法にも“十悪”の罪名があり、反乱罪、大逆罪、反逆罪、悪逆罪、不道

徳、不敬罪、親不孝、不睦罪、不義罪、内乱罪である。

 その後、“十悪”はさまざまな重大犯罪を指し、“十悪不赦”はこのような罪を

犯した者を赦せないことを言う。
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杀 :無意味に他人の命を奪うこと 盗 :物を盗むこと
邪淫:不淫らな異性交遊のこと   两舌:二枚舌を使うこと
恶口:悪口を言うこと          绮语:奇麗事を言って誤魔化すこと
嫉妒:嫉むこと              瞋恚:すぐに怒ること(しんに)
骄慢:傲慢であること          邪见:邪推すること

「典故300則」その2052013年04月05日 07:13


 今日の敵役は魯の大臣李康子、魯は春秋時代晋・斉・楚などの周辺大国

に翻弄される小国であった。李康子は公室をないがしろにし、魯国を私して

いた男だが、放浪していた孔子を呼び戻し儒を重んじ国政を正そうとした男

でもある。

 典故300則その205:食言 shi yan

 春秋末期、鲁哀公が使節として越へ行き帰国すると、李康子と孟武伯が国

境まで出迎えた。鲁哀公は簡単な宴席を設けて大臣たちを招いた。 孟武伯

は鲁哀公に随行して城郭に行くのを嫌がり、その席上で、からかって言った。

“あなたはどうしてこんなに太っているのですか?”鲁哀公は近寄って言った。

“是食言多矣,能无肥乎?” その意味は、こんなに沢山自分の話を食べた

ら、太らずにいられますか?

 実は鲁哀公は、長年に渡って魯の国の権力を操ってきた李康子達を、この

機に乗じて非難し、口先だけで権利を譲り、事実上はそれをさせず認めなか

った。

 以来、“食言”は約束不履行の喩えとなった。

「典故300則」その2062013年04月06日 09:33


 今日の言葉は“舐犊”、“舐”は舐めること、“犊”は仔牛のことである。三国志

時代、董卓とともに、その悪名を轟かせていた曹操と、政敵である杨彪の確執、

そして儒の思想を軽んじる曹操に反発する孔融。孔融は孔子の末裔であり“才

有れば徳を求めず”とする曹操と激しく対立し、後に曹操により斬首された儒者

である。

 典故300則その206:舐犊 shi du「典故300則」その206

 東漢末期、曹操と尚書令の杨彪は不仲であり、口実を探して杨彪を逮捕して

入獄させ、彼に謀反の罪名を着せた。孔融が激怒し曹操を批判すると、曹操は

やむを得ず杨彪を釈放するしかなかった。杨彪は漢朝にはもう何の希望もない

と見て、自ら申し出て退官し、二度と出仕しなかった。

 その後、杨彪の子の杨修が曹操に殺された。曹操は杨彪に会ってわざと尋ね

た。 “あなたはどうしてこんなに痩せてしまったのか?” 杨彪は言った。“愧无

日磾先见之明,犹怀老牛舐犊之爱。”その意味は“私はとても恥じている、金日

磾のような先見の明が無い為に、みすみす子供を殺してしまいました。 私は親

牛が仔牛を舐めてやるような愛情で、未だに我が子を懐かしんでいるのです。”

この話を聞くと、曹操の顔色が変わった。

 以来、“舐犊”、“舐犊情深”は父母の子供に向ける深い愛情を喩える。