「典故300則」その206 ― 2013年04月06日 09:33
今日の言葉は“舐犊”、“舐”は舐めること、“犊”は仔牛のことである。三国志
時代、董卓とともに、その悪名を轟かせていた曹操と、政敵である杨彪の確執、
そして儒の思想を軽んじる曹操に反発する孔融。孔融は孔子の末裔であり“才
有れば徳を求めず”とする曹操と激しく対立し、後に曹操により斬首された儒者
である。
典故300則その206:舐犊 shi du「典故300則」その206
東漢末期、曹操と尚書令の杨彪は不仲であり、口実を探して杨彪を逮捕して
入獄させ、彼に謀反の罪名を着せた。孔融が激怒し曹操を批判すると、曹操は
やむを得ず杨彪を釈放するしかなかった。杨彪は漢朝にはもう何の希望もない
と見て、自ら申し出て退官し、二度と出仕しなかった。
その後、杨彪の子の杨修が曹操に殺された。曹操は杨彪に会ってわざと尋ね
た。 “あなたはどうしてこんなに痩せてしまったのか?” 杨彪は言った。“愧无
日磾先见之明,犹怀老牛舐犊之爱。”その意味は“私はとても恥じている、金日
磾のような先見の明が無い為に、みすみす子供を殺してしまいました。 私は親
牛が仔牛を舐めてやるような愛情で、未だに我が子を懐かしんでいるのです。”
この話を聞くと、曹操の顔色が変わった。
以来、“舐犊”、“舐犊情深”は父母の子供に向ける深い愛情を喩える。
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