「典故300則」その229 ― 2013年05月01日 10:45
今日の悪役は夏の最後の皇帝となった“桀:けつ”。武力で諸侯や民衆を押さ
えつけ、自らは美女を侍らせ酒の池に船を浮かべて肉山脯林(にくざんほりん)
の宴を続け、政を顧みなかった。殷の紂王(ちゅうおう)、周の厲王(れいおう)と
並び称される希代の暴君である。
典故300則その229:涂炭 tu tan
成汤は暴君の夏桀を討伐し、馬を駆って南巣へかけつけた。成汤は尧舜禹が
帝位を禅譲すると思ったが、自分は武力によって帝位を簒奪したので、とても悔
やんでいた。
彼の左大臣の仲虺が彼を励まして言った。“有夏昏德,民坠涂炭。”その意味は
“夏桀は錯乱しており、凶暴残虐で彼の民はまるで泥沼にはまり、火の中に居る
ように、生活は本当に苦難に満ちていました。”
涂とは泥沼、炭は炭火のこと。以来、“涂炭”は究極の苦境を喩え、“生灵涂炭”
は災難の中に置かれている庶民を形容している。
「典故300則」その230 ― 2013年05月02日 11:40
今日のテーマは“墨塗り本”。太平洋戦争に負けた日本では 進駐軍の命令に
より、国家主義や戦意を鼓舞する教科書の記述を全て墨で塗りつぶした。教科
によっては、ほぼ全行に渡って抹消線が引かれたという。
戦後70年を間もなく迎える今、有川浩原作の“図書館戦争”がヒットし、映画化
され、今年のGWに多くの観客を集めている。
典故300則その230:涂鸦 tu ya
昔、添丁という稚児がおり、彼は本の上にいたずら書きするのが好きで、いつ
もその本を墨で塗っていた。稚児の父は書生で、《示添丁》という詩を作り、“忽
来案上翻墨汁,涂抹诗书如老鸦。”と言っている。 その意味は、机の上に墨汁
の壷をひっくり返したように、本が烏のように真っ黒に塗られた。
“涂鸦”とは、もともと幼児が無邪気にいたずら書きすることで、今では文筆あ
るいは絵画の技が未熟であることを喩え、時には自分の字の拙さを謙遜する事
にも用いられる。
「典故300則」その231 ― 2013年05月03日 08:54
今日の言葉は“推敲”、“推”は推すこと、“敲”は敲くこと。捏ねて敲けば
パンが、捏ねて踏めばうどんが出来る。では推して敲くと何ができるのか。
典故300則その231:推敲 tui qiao
贾岛は唐朝時代の詩人で、彼は詩作に集中し、言葉にはとても気を配り
磨きをかけていた。ある日、彼は驢馬に乗っている時、不意に二節の詩が
思い浮かんだ。 “鸟宿池边树,僧敲月下门。” 彼は初め“推”の字を用い、
後から“敲”に改めたが、“推”も悪くないと思っていた。彼は驢馬の背で推
と敲の動作を思い描き比較し、束の間注意を怠った。
贾岛はひたすら黙考し、やって来た都の長官韩愈の護衛隊に全く気づか
なかった。彼は韩愈の面前に引き立てられた。韩愈は大文学者で、彼は事
情をよく聞いた後、暫く考えてから言った。“私が見るところ敲が良い。”
以来、人々は“推敲”は字句を斟酌すること、繰り返し磨き上げることを喩
えるようになった。
最近のコメント