「典故300則」その225 ― 2013年04月27日 08:01
今日の主役は“孔鯉”、孔子の長男である。孔子が二十歳の時に生まれ、
魯の昭公からお祝いに鯉をもらったのでこの名がついたという。 父の教え
である“仁・義・礼・知・信”を良く学んだが、50歳で父に先立った。
典故300則その225:庭訓 tian xun
孔子の弟子陈亢は、かつて孔子が自分の息子の孔鯉に密かに勉強の秘
訣を教えているのではないかと疑っていた。ある日、陈亢は孔鯉に聞いた。
“あなたの父はあなたに何か特別な教えをしているのか?”孔鯉は答えた。
“ある時、父が屋敷の前に立っていたので、私は急いで通り過ぎました。父
が私に<詩経>は学んだかと聞いたので、私はまだですと答えました。 父
は<詩経>を学ばなければしっかりした言葉が身に付かないと言いました。
そこで、私は<詩経>を学びました。”
またある時、父がまた其処に立っていたので、私は急いで屋敷を通り過ぎ
ると、父はまた、<周礼>を学んだかと聞きました。父が言うには<周礼>
を学ばないと、正しい立ち居振る舞いが身に付かないと言いました。父が私
に教えてくれたのはこれだけです。”
陈亢はこれを聞いて喜んで言った。“私は一つの質問をして三つの収穫を
得ました。一つは<詩経>を学ぶ必要があること、二つ目は<周礼>を学
ばなければならないこと、そして三つ目は師(孔子)が我が子に対して厳格
である(我が子だけを贔屓にしていない)ことを知った。
以来、“庭訓”は父が子に対する教え(教戒)を喩える。
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