「典故300則」その154 ― 2013年02月01日 18:38
今日は“頭巾”の話。我々日本人に馴染んでいるのは鞍馬天狗の“黒頭巾”、
颯爽と馬に跨り正義の鉄槌を下しに駆けつける姿が目に浮かぶ。中国の“緑
の頭巾”にはどんな意味があるのだろうか。
典故300則その154:绿帽子 lu mao zi
昔、緑の頭巾は賎民の服飾であった。ある県令は罪人に対して体罰をせず
罰として緑の頭巾を被せた。元朝の時も明朝の時代も、いずれも遊郭の男は
緑の頭巾を被る決まりがあり、彼らの社会的地位の低さを表した。
その後、妻子がありながら情婦をもつ男を“戴绿头巾”と呼んだ。だんだんと
“绿头巾”が変化して“绿帽子”となった。
「典故300則」その155 ― 2013年02月02日 20:28
今日の主人公は悪代官の来俊臣。中国史上唯一の女帝武則天に取り入り
悪の限りを尽くした男である。武則天は彼を重用し、民を顧みず、歴史に残る
悪政を敷き漢代の呂后、清代の西太后と並んで、中国三大悪女として名を残
している。
典故300則その155:罗织 luo zhi
来俊臣は唐朝武則天の時代、有名な奸臣で武則天に重用されていた。彼は
当時侍御史で、警務訴訟を司っていた。来俊臣は職権を利用し、多くの冤罪を
でっちあげ、当時彼にいろいろな罪名を着せられ一族皆殺しにされた家は千を
超えていた。来俊臣は数百人のごろつきを集めており、彼らにいいかげんな密
告をさせた。 そればかりでなく来俊臣は同じ仲間である朱南山などに、でっち
あげの密告書を編纂させ、裏面にはなんといかに冤罪をでっちあげるかを罪名
の捏造やひとつひとつ誣告する方法の説明が書かれていた。
その後、“罗织:鳥網を編む”は無実の人を陥れる虚構の罪名の喩えとなった。
「典故300則」その156 ― 2013年02月03日 08:51
“馬と鹿”でバカ、バカという言葉は梵語の“Moha Mahalka:痴・無知”から
来ておりもとは僧侶の隠語“慕何”が転じて“馬鹿”となったそうだ。
今日のテーマは“馬と虎”、では“馬と虎”にはいったいどんな意味がある
のだろうか。
典故300則その156:马虎 ma hu
宋朝の時代、一人の画家がいた。ある日、彼が虎を描いており、頭を描き
終わったばかりの時、人が来て彼に馬を描いてくれるよう頼まれたので、彼
は馬の身体を描きつないだ。彼はその絵を《马虎图》と名付けた。長男が彼
に“これは何?”と聞くと、彼は虎だと言い、次男が聞くと馬だと言った。
その後、長男は一匹の馬を虎だと思って射殺した。 まもなく、次男は山で
一匹の虎を見つけ、馬だと思い虎に乗ろうとして、その結果虎に噛み殺され
てしまった。 画家は悲しみ、《马虎图》を焼き、一首の詩を書いて皆に彼の
真似をしないよう勧めた。
以来、人々は“马虎”を仕事をいいかげん(粗枝大叶)にすることに喩えた。
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