「典故300則」その1232013年01月01日 07:30


 あけましておめでとうございます。元日の言葉は“借鏡:鏡を借りる”、日本語に

すれば“人の振り見て我が振り直せ”というところか。 隣国のマナー違反に挑発

されても、意趣返しなど考えず寛容と忍耐を以てこの国をリードして欲しいものだ。

ジジイが決めて、オヤジが命令し、若者が死んでゆく戦争にだけは暴走させては

いけない。

 典故300則その123:借鉴 jie jian

 鉴は鏡。“借鉴”は他人の鏡を借りて自らを写すこと、だから“借鉴”は“借镜”と

も言う。 《淮南子・主术训》の中に言う“夫拒干而窥井底,虽达视犹不能见其睛

借明于鉴以照之,则寸分可得而察也。” その意味は、井戸の手すりにもたれて

井戸の底を覗いても、たとえ視力がとても良くとも、はっきりと見ることはできない

が、鏡の照らす光りを借りれば、とてもよく見える。その後“借鉴”、“借镜”は他人

の経験や利害を鏡に照らし、自らを振り返り行動の手本とした。

 現代でも毛沢東の延安での文芸座談会での講話の中に、この故事が用いられ

ている。 “我々は全ての優れた文学、芸術の遺産を必ず継承し、批判しながらそ

の中にある全ての有益なものを吸収し、我々はこの後我が国の日常生活の中の

文学、芸術の作品を創る時の「借鉴:手本」とする。”

「典故300則」その1242013年01月02日 07:38


 今日の主役は寇恂、字名は子翼。上谷・昌平の人。河内太守、潁川太守、汝南

太守、執金吾を歴任。光武帝の補給の拠点となる大郡の太守となり、軍の食糧を

供給し、高祖劉邦に仕えた蕭何と並び称される。すべてを読み切って行動する功

臣中一番の知将であり、用兵や交渉にも長け文武の才を兼ねた男である。

 典故300則その124:借寇 jie kou

 東漢時代、寇恂はかつて颍川の太守を務め、その土地を良く治めていた。その

後、寇恂は都の治安を守る官職である执金吾に派遣された。盗賊達は寇恂が移

動したのを聞き、そこでまた颍川に来て悪事を働いた。民の生命財産は脅かされ、

人々は寇恂の治世を偲んだ。

 ある時、寇恂が光武帝に随行し颍川を訪れた時、人々が光武帝の行く手を遮り

訴えた。“陛下、どうぞ寇恂さまを一年の間、私達にお貸し下さい。” 光武帝は了

承し、寇恂はそこに留まった。

 以来、“借寇”は地方官が任務を良く全うし、民が彼を離任させるのを望まない事

に用いられる。

「典故300則」その1252013年01月03日 07:07


 大切な物の言い方にはいろいろある。お宝、秘宝、九鼎(きゅうてい)、虎の子

箱入り、貴重品・・・などなど。

 典故300則その125:金不换 jin bu huan

 昔の人は良く知っていた、良い墨はたとえ毎日使っても一年でたった半分しか

減らない。このような墨は万金を出しても容易に手に入らない。

 後に“金不换”は墨のことばかりでなく、万金にも換えがたい貴重なものを喩え

る言葉となった。