黒部の太陽2005年12月11日 22:35

 映画”黒部の太陽は”昭和43年に封切られ、当時既に
邦画会のドンであった”世界のミフネ”と、それまで青春
映画やアクション映画専門であった”石原裕次郎”の競演
で、大いに話題となった作品である。

 黒部ダムは、関西電力が社運を賭けて建設した発電
設備で、実に513億円という大金を投じています。この
建設を決断したのは、当時の関西電力社長の太田垣
士郎氏で、日本の戦国三武将に例えるならば豊臣秀吉
という役所にになるかと思います。

 マッカーサーと互角に渡り合い、自ら身体を張って現在
の9電力体制の地ならしをした松永安左ヱ門氏が織田
信長、それを受け継ぎ9電力体制を纏め上げた太田垣
士郎氏が豊臣秀吉、そしてそれを定着させ盤石のものと
した木川田一隆氏が徳川家康である。

 黒部ダムは、昭和31年に着工して実に7年もの歳月と
171名もの尊い命、そして513億円という巨費を投じ
て建設されたものです。最大落差545.5m、総貯水量
は2億立方メートル、最大出力33万5千kWのアーチ式
超流型ダムで、今も関西電力のドル箱として、また観光
名所として活躍している。

 映画の話に戻りますが、監督をした熊井啓氏が映画
作成には自然との戦いの他に、当時の映画会の”五社
協定”という制度との戦いもあったと述懐しておられるが
これは我々が新しいことや改革すべきことに挑戦する時
避けることのできない、そして必ず超えなければならない
”壁”である。

 改革者には”もの”の壁(物理的な壁)、”しくみ”の壁
(制度的な壁)、”こころ”の壁(意識的な壁)という、3つ
の壁が立ちはだかると良くいわれますが、この中で最大
の壁は、やはり”こころの壁”だと思います。

 今回の耐震強度偽装問題の根本的解決を図る為にも
勿論この3つの壁が立ちはだかっていますが、やはり
肝心なことは、物や制度ではなくそれを運用する”人の
こころ”である。総ての企業の社是として”社会正義に
反しない”ことを掲げ、遵守して頂きたいものである。