新宿末広亭 ― 2005年12月08日 22:56
ラジオのスイッチを入れると、談志のしゃがれ声が聞
こえてきた。毎週木曜日の9時からTBSラジオで放送
している”立川談志の遺言2005”という番組である。
三十数年前の新宿末広亭の高座で見た談志の姿を
思い出す。落語協会に反旗を翻して”立川流”を貫き通し
ている、孤高の(少々オーバーか)落語家である。
昭和四十年代に青春時代を謳歌していた私の遊び場
は、西武新宿駅前の歌声喫茶”ともしび”や歌舞伎町の
”新宿オデオン座”、そして新宿三丁目にある”末広亭”
であった。
現在の落語の世界は、三遊亭圓歌が会長を務め、最大
派閥を誇る”落語協会”の他、桂歌丸会長の”落語芸術
協会”、桂三枝が会長を務める”上方落語協会”、ご存知
三遊亭円楽が率いる”円楽党”、そして立川談志の”立川
流一門”などに分かれている。
昭和四十年代前半に、年功序列の戒律厳しい落語の
世界で、若手落語家が一人敢然と反旗を翻し、自らの
芸風を主張し貫き通すことは、決して容易ではなかった
はずである。
寄席では、落語の他に講談や漫談、漫才や奇術・手品
など実にバラエティーに富んだ庶民の芸能が楽しめる。
当時私が末広亭に通ったお目当ては、一柳斉貞丈の
講談と、談志の漫才であった。末広亭で、初めて二人の
話芸に接した時は、身震いがしたものだった。
流儀は異なるものの、二人の話芸の巧みさに魅了され
ずいぶんと通ったものだった。貞丈の”曲垣平九郎”と
談志の”芝浜”を演じている姿を、今でも思い浮かべる
ことができる。その後、彼らを超える話芸には出会って
いない。
こえてきた。毎週木曜日の9時からTBSラジオで放送
している”立川談志の遺言2005”という番組である。
三十数年前の新宿末広亭の高座で見た談志の姿を
思い出す。落語協会に反旗を翻して”立川流”を貫き通し
ている、孤高の(少々オーバーか)落語家である。
昭和四十年代に青春時代を謳歌していた私の遊び場
は、西武新宿駅前の歌声喫茶”ともしび”や歌舞伎町の
”新宿オデオン座”、そして新宿三丁目にある”末広亭”
であった。
現在の落語の世界は、三遊亭圓歌が会長を務め、最大
派閥を誇る”落語協会”の他、桂歌丸会長の”落語芸術
協会”、桂三枝が会長を務める”上方落語協会”、ご存知
三遊亭円楽が率いる”円楽党”、そして立川談志の”立川
流一門”などに分かれている。
昭和四十年代前半に、年功序列の戒律厳しい落語の
世界で、若手落語家が一人敢然と反旗を翻し、自らの
芸風を主張し貫き通すことは、決して容易ではなかった
はずである。
寄席では、落語の他に講談や漫談、漫才や奇術・手品
など実にバラエティーに富んだ庶民の芸能が楽しめる。
当時私が末広亭に通ったお目当ては、一柳斉貞丈の
講談と、談志の漫才であった。末広亭で、初めて二人の
話芸に接した時は、身震いがしたものだった。
流儀は異なるものの、二人の話芸の巧みさに魅了され
ずいぶんと通ったものだった。貞丈の”曲垣平九郎”と
談志の”芝浜”を演じている姿を、今でも思い浮かべる
ことができる。その後、彼らを超える話芸には出会って
いない。
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