「典故300則」その209 ― 2013年04月09日 10:36

今日の主役は孔子、彼は側近の弟子達を連れて 14年にも及び諸国を周遊
していた。魯の国を出て、晋、曹、宋、陳、楚などに滞在し、直接庶民の日常に
接するとともに各地の為政者に徳治政治を説いて歩いた。
孔子曰く”人は鳥や獣の社会では生きて行くことはできない。人は人の社会で
しか生きられない。 だからこそ人は自らの手で素晴らしい社会を作り出して行か
なければならん。鳥や獣のように、成り行きまかせにしてはならないのだ。”
典故300則その209:斯文 si wen
孔子が諸国を周遊している時、匡(きょう)の国で、その土地の庶民に軟禁され
てしまった。 孔子は弟子を安心させるように言った。“文王既没,文不在兹乎?
天之将丧斯文也,后死者不得与于斯文也;天之未丧斯文业,匡人其予何?”
その意味は“周の文王が死んでから、学問が此処には無くなってしまったのか?
天の神がもしもこれらの学問を無くすのなら、私は当然それらの学問を知ること
が出来なかった。今、天の神がもしもこれらの学問を無くしたくないと思うなら匡
の人は私をどのようにするだろうか? ”その後、匡の人はとうとう孔子達を解放
した。
“斯文”とは本来周代の学問を言うが、後に“斯文”は知識人の風貌、文人或い
は文化に用いるようになった。 “斯文扫地”とは文人のいない場所、或いは知識
人が面目を無くすことを喩える。
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