「典故300則」その1412013年01月19日 08:51


 今日のテーマは“空城の計”、兵法三十六計の第三十二計にあたる。三国志に

おける魏の軍師司马懿と蜀の軍師诸葛亮との智略戦の一場面であるが、史実に

よればこれより先、蜀の知将趙雲がこれを用いている。漢中争奪戦の際、蜀の将

軍趙雲が空城の計を使って魏の曹操軍を撤退させたのが初とされている。この時

は、空城の中に多くの伏兵を隠しており、城の中に入った曹操軍は四方から攻撃

され甚大な被害を受けほうほうの態で逃げ帰っている。曹操の軍師であった司马

懿の脳裏には、この時のことが過ぎったに違いない。

 典故300則その141:空城计 kong cheng ji

 三国時代、ある時魏の司马懿が十五万の大軍を率いて诸葛亮が守る西城を攻

めた。 この時城中には将軍がおらず、五千の兵馬と半分程度の食料、大多数の

文官を残すのみで、状況は極めて危うかった。

 诸葛亮は四方の城門を開けさせ、旗を倒し、兵士達を住民に扮装させ、道を清

めた。 彼は自ら身なりを整え、二人の童を侍らせ、落ち着いた様子で城楼の上に

座して琴を弾いた。

 この時司马懿は城下に到来し、この様子を目にして前進を止め注意深く诸葛亮

の琴の音を聞いて、その調べがいささかも乱れていないことを知った。 司马懿は

その中に诸葛亮の待ち伏せを恐れ、撤退を命じた。

 以来、人々は“空城计”を危機に面した時、弱みを隠して、相手を騙す策略の喩

えとした。