「典故300則」その126 ― 2013年01月04日 09:02
みなさんご存知の三国志、その実態は我々日本人のイメージとは大分異なる。
日本人にとっての三国志は、吉川英治氏の著作によるところが大きく、魏・呉・蜀
の三国が拮抗して覇権を争ったように思っているが、史実では曹操の率いる魏の
独り勝ち状態であった。赤壁の戦い(208年)で大敗を喫した後での勢力を見ると
人口比較で(魏・呉・蜀の順)2800万人、1060万人、630万人、兵力で30万人
10万人、5万人と、とても三国鼎立とは言えない実態にあった。
また、孔明と仲達(赤壁時はまだ無名)の二人の軍略や実績を比べても、仲達
に軍配が上がっている。
典故300則その126:巾帼 jin guo
三国時代後期、蜀の丞相諸葛亮が魏を攻め司马懿と谷の上で戦った。司马懿
は罠にはまって敗走し、守りを堅め出てこなかった。 蜀軍が如何に罵ろうと魏軍
は戦いに応じなかった。諸葛亮は、仕方なく一揃いの婦人の頭巾と髪飾りを司马
懿に送り届けさせ、彼を激怒させ、戦いに応じさせようとした。
司马懿は内心怒っていたが、笑ってその品を受け取りながら言った。“孔明殿に
は私が女人に見えるようだ。” その上、使者の前で婦人の衣装を身につけ使者
を歓待した。 司马懿はその後も終始討って出ず、やがて諸葛亮は病に倒れ亡く
なり、蜀軍は撤退した。
“巾帼”とは、昔の婦人の頭巾と髪飾りのことであり、以後婦女子を指すようにな
った。
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