「典故300則」その2642013年06月07日 07:51


 今日の主人公は“先憂後楽:天下を以て己が任となし 天下の憂いに先ん

じて憂え、天下の楽しみにおくれて楽しむ。” という名言を残した宋の重臣

范仲淹。 この言葉を引用し“後楽園”と命名された施設も各地に見受けら

れる。

 典故300則その264:一路哭 yi lu ku

 宋の仁宋時代、范仲淹が副宰相を務めていた。彼は任務に就くと各地区

の役人の名簿を調べ、権力を笠に着て庶民をいじめ、法を曲げて賄賂を貪

る役人の名前を見つけ、筆で容赦なくチェックし、罷免した。

 大臣の富弼が言った。“あなたは簡単に筆を入れるが、罷免された一家は

皆泣いているぞ!”范仲淹が答えた。“一家が泣くのと地域の庶民みんなが

泣くのでは、どちらが悲惨でしょうか?”

 “路”は宋代の行政区の名前である。“一路哭”は、役人の不正統治による

その地域の庶民の苦しみを喩える。“一笔勾”、“一笔勾销”はこの事を言い、

今では真っ黒に塗りつぶし、すべてを抹消することに喩える。

「典故300則」その2652013年06月08日 15:31


 今日の言葉は“一丝不挂”、直訳すれば“一糸纏わず”となる。事にあたる

時の心構えを示す言葉で、われわれ日本人は“虚心坦懐”の方が馴染んで

いる。
 
 典故300則その265:一丝不挂yi si bu gua

 この言葉は仏教用語“寸丝不挂”が変化したもので、もとの意味は釣り竿

に釣り糸をつけないことを言い、足手まといになることを気に懸けない、大ら

かな性格を喩える。

 《景德传灯录》に記す。“南泉和尚が陆恒に問う。 大夫が十二歳の頃は、

どんな子供でしたか?”陆恒が答えた。“寸丝不挂。:丸裸でした” その後、

“寸丝不挂”は“一丝不挂”とも言うようになり、素っ裸のことを指した。

 例えば宋朝の杨万里の詩には“放闸老兵殊耐冷,一丝不挂下冰滩。”と

ある。 “一丝不挂”は時には如何なる飾りも付けず、全てを晒け出すことを

形容し、朱自清の《忆跋》には“你想那一丝不挂却又爱着一切的童心,凭

你怎样招手,总是不回到腔子里来”とある。

 また、《节本明儒学案》には“学问只要一丝不挂,其体方真。体既真,用

自裕,倒真用功夫时,既功夫一切放下,方是功夫。:学問はひたすら虚心

坦懐であるべし、其処に真理がある。あるが儘の姿が即ち真理であり、分

相応の真理を求め、一切の見栄を捨てるべし。”とある。

POPサーカス&迷子2013年06月09日 07:11

  歩く縫いぐるみが断然面白い!

 昨日は孫守で、イーアスつくばの特設会場で開催されているPOPサーカスを
見てきました。 サーカスを見るのは久しぶりで、三年前に上海万博のついでに
見た上海雑伎団以来のことです。

 POPサーカスは、アメリカを中心にヨーロッパ、アジアなどの広い地域から集
められたアーチスト達によるバラエティーに富んだプログラムでした。 空中ブラ
ンコや大仕掛けのイリュージョンなど、迫力満点の演技が次から次へと 展開さ
れましたが3歳の孫娘にとっては、ピエロの道化や子犬たちの演技の方が遙か
に気に入っていたようで、盛んに拍手や声援を送っていました。

 観覧後、イーアス店内で事件が発生。 中にあるMOVIXで親達が前売りチケ
ットを購入していたスキに孫娘が一人で店内を散策に出かけてしまったのです。
ほんの僅かな間に見あたらなくなってしまい、私の妻と母親である娘は青くなっ
て広い店内を探し回りました。

 イーアスには時々来ているようで、ここに来ると必ず立寄るというおもちゃ屋さ
んを中心に15分ほど探しましたが見つかりません。 私は多分チケット売り場に
戻るだろうと思って映画館へ行ってみると、案の定受付嬢を相手にしきりに何や
ら説明をしていました。彼女が言うには、“お母さんが迷子になってしまったので
探して下さい。”と訴えていたそうです。

 母親からはぐれてたった一人で20分以上、泣き喚くこともなく元の場所に戻っ
て自分の窮状を周囲の大人に訴える孫娘。 “しっかりしたお子さんですね。”と
いう受付嬢の言葉に思わず笑みが零れてしまう “ジジ馬鹿” を自覚した出来事
でした。