求愛と野生2013年06月10日 20:04

    柏葉紫陽花と八重咲きのドクダミ      

 今年も庭の紫陽花が見事に咲いた。真っ白な小さな花弁がビッシリと身を寄せ
合って円錐状に咲き誇る柏葉紫陽花である。この花については本ブログ2006
年6月10日に詳細を載せているので、ご参照頂きたい。
 
 手前に咲いている小さな白い花はドクダミである。 この写真では小さくて判別
できないが、これは八重咲きでなかなか珍品である。 楽天ショップでは1ポットを
¥640で販売されていますが、ご希望の方にはお出で頂ければ無料でお分けし
ます。
 
 紫陽花の花言葉は「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」「元気な女性」「無情」「浮
気」などといろいろあるが、今日の文化放送では「求愛」と紹介されていた。その
心は、紫陽花を音読みにすると「しようか」となるから・・・。 因みにドクダミ(毒痛
み)の花言葉は「白い追憶」「野生」だそうである。

「典故300則」その2662013年06月11日 07:53


 講談に「西行鼓が滝」という話がある。若き日の西行法師の和歌修業の旅で

西行が有名な“鼓が滝”鼓が滝というところを訪れ“伝え聞く鼓が滝に来てみれ

ば、沢辺に咲くやたんぽぽの花”と詠んで満悦していた。そこへ一人の老人が

通りかかり、“ここは鼓が滝なので、伝え聞くよりも音に聞くとしたほうが良い。”

と言って立ち去った。すると今度は一人の老婆がやってきて、“ここは鼓が滝な

ので、来てみればよりも打ち見ればのほうが良い。”と言い去り、そして最後は

孫娘が一瞥し、“ここは鼓が滝なので、沢辺よりも川辺としたほうが良い。”と言

った。夢から覚めた西行は、慢心することなく修業に励んだそうだ

 典故300則その266:一字师 yi zi shi「典故300則」その266

 唐の時代、詩作を愛好する僧侶齐己が《早梅》という題の詩を創り、その二節

は“前村深雪里,昨夜数枝开。:雪深い村に昨夜少しばかりの梅が開いた。”と

あった。

 詩人の郑谷が、“早”とするからには“数枝”は相応しくないと言った。彼は“数

枝”を“一枝”と替えれば更に良くなると考えた。 齐己は心服(あるいは面従)し、

あわてて礼拝した。当時の人は皆、郑谷のことを“一字师”と呼んだ。

 以来、一般には作者が自分の詩文を一文字替えてくれた人を尊んで“一字师”

と呼んだ。

それでいいのか全柔連2013年06月12日 21:44

清廉高潔なる全柔連会長

  女子選手へのセクハラ、助成金の不正受給、いずれも全柔連の理事が関与を
認めた不祥事である。これは一個人の問題ではなく組織ぐるみの犯罪であること
は周知の事実である。ことに不正受給については国会でも取り上げられ、その醜
態を満天下に晒した。 第三者委員会からは“順法精神の欠如”と、厳しい勧告を
受け、最高責任者である村上某は、その進退を問われている。

 にもかかわらず彼はその責を負わず続投をするという。周囲の追求に対しては
“全て部下が勝手にやったことで、自身には関わりなし。”という姿勢を貫き、理事
会で続投を宣言したという。

 この理事会では、内閣府の公益認定委員会から求められていた一連の不祥事
についての中間報告書が、理事会に図ることなく会長以下一部の執行部だけで
作成提出されていることが判明した。それでも異を唱えることもなく(できず)会長
の進退を問う発言もなく、粛々と理事会を終えたという。

 この理事会にはロサンゼルスで金メダルを取った山下泰裕も、齊藤仁も理事とし
て名を連ねているが、老醜の前に陰を潜めているようだ。あの堂々とした試合ぶり
日本中を湧かせた勇者はどこへ消えたのか。金メダルが泣いている。

 注:清廉高潔=厚顔無恥