「典故300則」その261 ― 2013年06月04日 19:38
打ち出の小槌、アラジンの魔法のランプ、どらえもんのポケット・・・etc、願い
事が何でも叶う夢の神器である。
典故300則その261:摇钱树 yao qian shu
言い伝えによれば昔、お金の生る樹があった。幹を揺すると、お金が次々と
落ちてきて、樹には再び新しいお金が生った。 人々は、この樹を”摇钱树”と
呼んだ。
清朝時代、一つの風習があり年末になると人々は松や柏の枝を切ってきて
壺の中に飾り、上にはお金や馬蹄銀などを掛け、人々はこれを摇钱树(お金
の生る樹)と呼んだ。
以来、“摇钱树”は金儲けをさせてくれる人を喩えるようになった。
「典故300則」その262 ― 2013年06月05日 07:24
“千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず” 今日の主人公はこの名馬
を見い出す名人“伯楽”である。
典故300則その262:一顾 yi gu
苏秦と弟の苏代は、いずれも戦国時代の有名な論客である。ある時、苏代が
斉王に会おうとして先ず斉の淳于髡をさがし、推挙してくれるよう頼んだ。苏代
は言った。“昔、ある男が一匹の馬を売りたいと思い 三箇所の朝市を梯子した
が誰も見向きもしなかった。男はすぐに伯楽を捜しに行き、手伝ってもらった。
彼は伯楽に、何も言わずに只馬の周りを何回か回って、帰る時は振り返って
一目見てから行くように頼んだ。すると、馬の値段が上がり十倍で売れました。
あなたは伯楽が良馬に対したと同じように私を斉王に推挙してくれませんか?”
淳于髡は了解した。
“一顾”とは振り返って一目見ること。後に“一顾”、“伯乐一顾”は逸材を推挙
したり称賛することの喩えとなった。
「典故300則」その263 ― 2013年06月06日 09:21
寿永4年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いに於いて平家は滅亡した。 この時
平家一門に奉戴されていた安徳天皇は、壇ノ浦の急流に身を投じ、崩御して
いる。僅か8歳であった。凡そ100年後、中国南宋でも同じような悲劇が・・・。
典故300則その263:一块肉 yi kuai rou
南宋末期、陆秀夫が右丞相を務めていた時、衛の王赵昺はまだ八歳で、陆
秀夫によって皇帝に擁立された。その頃、元軍が近づいており、宋軍は多くの
軍船を荒縄で繋ぎ、衛王赵昺は中央に陣取った。
それでも結局は、宋軍は元軍に敗れてしまった。 陆秀夫は逃げ延びる手筈
がつかず、赵昺を背負って海(長江)に身を投げた。それに続いて多くの大臣
達も海に飛び込み、南宋は完全に滅亡した。
赵昺の母楊太后はこの知らせを聞き、泣きながら言った。“私はどんな苦難
も赵家の子孫のために堪え忍ぶ!だが、今となっては何の希望もない。”言い
終わると海に身を投げた。
“一块肉”とは、大災害の後に唯一生き残った子供を喩える。
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