「典故300則」その2662013年06月11日 07:53


 講談に「西行鼓が滝」という話がある。若き日の西行法師の和歌修業の旅で

西行が有名な“鼓が滝”鼓が滝というところを訪れ“伝え聞く鼓が滝に来てみれ

ば、沢辺に咲くやたんぽぽの花”と詠んで満悦していた。そこへ一人の老人が

通りかかり、“ここは鼓が滝なので、伝え聞くよりも音に聞くとしたほうが良い。”

と言って立ち去った。すると今度は一人の老婆がやってきて、“ここは鼓が滝な

ので、来てみればよりも打ち見ればのほうが良い。”と言い去り、そして最後は

孫娘が一瞥し、“ここは鼓が滝なので、沢辺よりも川辺としたほうが良い。”と言

った。夢から覚めた西行は、慢心することなく修業に励んだそうだ

 典故300則その266:一字师 yi zi shi「典故300則」その266

 唐の時代、詩作を愛好する僧侶齐己が《早梅》という題の詩を創り、その二節

は“前村深雪里,昨夜数枝开。:雪深い村に昨夜少しばかりの梅が開いた。”と

あった。

 詩人の郑谷が、“早”とするからには“数枝”は相応しくないと言った。彼は“数

枝”を“一枝”と替えれば更に良くなると考えた。 齐己は心服(あるいは面従)し、

あわてて礼拝した。当時の人は皆、郑谷のことを“一字师”と呼んだ。

 以来、一般には作者が自分の詩文を一文字替えてくれた人を尊んで“一字师”

と呼んだ。