「典故300則」その265 ― 2013年06月08日 15:31
今日の言葉は“一丝不挂”、直訳すれば“一糸纏わず”となる。事にあたる
時の心構えを示す言葉で、われわれ日本人は“虚心坦懐”の方が馴染んで
いる。
典故300則その265:一丝不挂yi si bu gua
この言葉は仏教用語“寸丝不挂”が変化したもので、もとの意味は釣り竿
に釣り糸をつけないことを言い、足手まといになることを気に懸けない、大ら
かな性格を喩える。
《景德传灯录》に記す。“南泉和尚が陆恒に問う。 大夫が十二歳の頃は、
どんな子供でしたか?”陆恒が答えた。“寸丝不挂。:丸裸でした” その後、
“寸丝不挂”は“一丝不挂”とも言うようになり、素っ裸のことを指した。
例えば宋朝の杨万里の詩には“放闸老兵殊耐冷,一丝不挂下冰滩。”と
ある。 “一丝不挂”は時には如何なる飾りも付けず、全てを晒け出すことを
形容し、朱自清の《忆跋》には“你想那一丝不挂却又爱着一切的童心,凭
你怎样招手,总是不回到腔子里来”とある。
また、《节本明儒学案》には“学问只要一丝不挂,其体方真。体既真,用
自裕,倒真用功夫时,既功夫一切放下,方是功夫。:学問はひたすら虚心
坦懐であるべし、其処に真理がある。あるが儘の姿が即ち真理であり、分
相応の真理を求め、一切の見栄を捨てるべし。”とある。
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