「典故300則」その243 ― 2013年05月16日 08:05
“石に枕し流れに漱ぐ”という言葉がある。これは石を枕にして眠り、川で
口を漱ぐ暮らしで、俗世間を離れ山野に隠れ住んで、自由気儘に生活する
ことである。
また、“石に漱ぎ流れに枕す”という言葉もある。“石に枕し流れに漱ぐ”と
言うべきところを言い間違えたものだが、それを指摘されると“石に漱ぐとは
歯を磨くこと、流れに枕すとは耳を洗うこと”だとこじつけたという。 負け惜し
みが強い人を言う。
では、何の為に耳を洗うのだろうか。
典故300則その243:洗耳 xi er
古書に記す、许由は官職に就きたくはなかったが、尧帝が彼を九州の長に
任命すると“由不欲闻之,洗耳于颖水滨”。 その意味は:许由はこんな話は
聞きたくない、颖河の水辺に行って耳を洗うといい。この時、彼の友人の巢父
が子牛に水を飲ませに連れて来て、许由が耳を洗っているのを見かけて、ど
うしたのかと尋ねた。
许由は言った。“尧帝が私に九州の長になれと言うが、私はこんな話が聞こ
えるのは耳が詰まっている(汚れて)せいだと思って、この川辺に来て洗ってい
るんだよ。”巢父は急いで子牛を川上へ牽いて行き、言った。“君が耳を洗った
水で私の牛の口を汚さないでくれ。”
以来、人々は“洗耳”、“洗耳恭听”は人の話を丁寧に聞くこと、また世俗の栄
達をきびしく拒否する喩えとなった。
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