「典故300則」その244 ― 2013年05月18日 09:03
後漢末期、乱世の奸雄と言われ三国志時代の英雄曹操が、若い頃洛陽の
北部尉に着任した時、規律の緩んだ部下達を一喝し、夜間通行禁止令をしき
五彩棒を提唱して北門から洛陽城内の治安を正した。
新任の官吏が先ずやる事は、部下に侮られぬよう“ガツン”と自分の存在感
を示すことのようだ。
典故300則その244:下马威 xia ma wei
漢朝時代、斑伯という官吏がおり、彼は若く意気盛んで治安の混乱している
定襄の太守への赴任を自ら進んで求めた。この知らせが伝わると、定襄の人
々は各級官吏ばかりか一般庶民まで皆あれこれと取りざたし、彼がやって来
るのを危惧した。(“畏其下马作为”)
斑伯が定襄に赴任すると強硬な政策をとり、所属する官吏の中から意気盛
んな若者を選抜して精鋭部隊編成し、この部隊に地元のボス(悪者の親分)や
ならず者を逮捕させた。わずか十数日で地元の悪漢、ごろつき、ならず者は皆
逮捕され、一編にこの地方の人々に安住をもたらした。“下马威”は昔、新任の
役人が、わざと部下に厳しく接し、威厳を示したことを指す。
以来、“下马威”は巷では先んずれば人を制す(先发制人)と、事を始めるに
あたって相手を脅かして(あっという目に遭わせる:厉害瞧瞧)自らの威厳を示
すことを意味するようになった。
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