「典故300則」その2502013年05月24日 07:28


 今日の主役は魏王曹操と彼に仕えた孔融。孔融は孔子の20世末裔である。

両者とも類まれなる文才に恵まれ共に建安文学の隆盛を成した仲だが、後に

孔融は曹操の逆鱗に触れ、妻子共々処刑された。 この事により曹操は“聖人

孔子の子孫を殺害した男”として後々まで非難されることになった。

 典故300則その250:想当然 xiang dang ran

 東漢末期、官渡の戦いに於いて袁绍が曹操に敗れた。 曹丕が軍を率いて

入城し、袁绍の屋敷で袁绍の息子の嫁甄氏を見つけ、彼女を気に入り、父で

ある曹操は曹丕に彼女を娶らせた。 曹操の策士孔融は曹操親子のした事を

とても軽蔑し、曹操に手紙を書いて婉曲に彼を非難した。

 曹操は承伏しかねて問い正した。 “あなたの言うことは古の書物にも載って

いるのか?” 孔融は言った。“今日の出来事を昔の人が予測したなら、恐らく

そうしたでしょう。”

 “想当然”は、ご存知の通り“恐らくそうすべき。”という意味だが、今では事実

に基づかない主観的(独りよがりな)な推定を喩える。