「典故300則」その2332013年05月05日 09:29


 将軍吉宗が江戸の街に出るとき、貧乏旗本の次男坊に扮する。江戸

町奉行の遠山金四郎が江戸の治安守るため、遊び人の金さんに扮して

悪事の現場を抑える。難を逃れるためにあの孔子も・・・。

 典故300則その233:微服 wei fu

 戦国時代、ある日孟子が人々と一緒に孔子談義をしている時に言った。

“孔子不悦于鲁卫,遭宋桓司马将要而杀之,微服而过宋。”その意味は

孔子が諸国を周遊している時、難しい立場にあった。彼は鲁と卫を離れ、

宋を通りかかった時、宋の大夫桓颓が路上で彼を殺す画策をした。孔子

はちょうど平民の服に着替えて宋から逃れた。

 “微”はかつては隠蔽隠匿の意味、“服”は服装のこと。“微服”は今では

役人が外出する時、身分を隠すために服装を換えたり目立たない服を着

ることを喩える。