秦野線鉄塔倒壊(その1) ― 2005年07月19日 19:48
昭和61年3月、春分の日も過ぎた連休最終日の23日
日曜日。季節はずれの大雪が、前日深夜から降り続いて
いた。遅い朝食を食べながら、ぼんやりと大雪のニュース
をテレビでながめていると、神奈川県では雪のため鉄塔
が倒壊したと報じていた。
入社以来、これまでも都市部に於ける鉄塔倒壊の報道
は何度か聞いたことがあったが、今まではすべて鉄塔と
電柱とを取り違えた報道であった。私は、またマスコミが
電柱の倒壊を間違って伝えているものと、のんびりと構え
ていた。
11時を少しまわった頃、本店から電話が入った。緊急
事態発生、直ちに出社せよ、というものであった。すぐに
支度をして駅に出ようとしたが、激しい雪が降り続いてお
りバスも動いていないという。
急いで車にチェーンを履いて出かけると、団地を出た
ばかりの坂道で、エンコした車が数珠つなぎとなっており
とても車では行かれない。仕方なく家に戻り、約5kmの
雪道を2時間近くかけて駅まで歩いた。体中が汗びっしょ
りになっていた。時刻は既に午後3時をまわっていた。
やっとのことで牛久駅に着いた。電車はホームに入って
いたが、まったく動く気配がない。6号国道も、車の渋滞
が著しく、バスもタクシーも動かない。やむを得ず電車の
動くのを車内で待った。ようやく6時頃に動き出したが、
一駅走っては時間待ちを繰り返し、結局新橋のオフィスに
着いたのは夜の11時になっていた。
テレビのニュースは本当のことであった。27万5千V
の鉄塔が、雪によって倒壊したのだ。創立以来、初めての
大事件である。ここから雪との長い長い戦いが始まった。
日曜日。季節はずれの大雪が、前日深夜から降り続いて
いた。遅い朝食を食べながら、ぼんやりと大雪のニュース
をテレビでながめていると、神奈川県では雪のため鉄塔
が倒壊したと報じていた。
入社以来、これまでも都市部に於ける鉄塔倒壊の報道
は何度か聞いたことがあったが、今まではすべて鉄塔と
電柱とを取り違えた報道であった。私は、またマスコミが
電柱の倒壊を間違って伝えているものと、のんびりと構え
ていた。
11時を少しまわった頃、本店から電話が入った。緊急
事態発生、直ちに出社せよ、というものであった。すぐに
支度をして駅に出ようとしたが、激しい雪が降り続いてお
りバスも動いていないという。
急いで車にチェーンを履いて出かけると、団地を出た
ばかりの坂道で、エンコした車が数珠つなぎとなっており
とても車では行かれない。仕方なく家に戻り、約5kmの
雪道を2時間近くかけて駅まで歩いた。体中が汗びっしょ
りになっていた。時刻は既に午後3時をまわっていた。
やっとのことで牛久駅に着いた。電車はホームに入って
いたが、まったく動く気配がない。6号国道も、車の渋滞
が著しく、バスもタクシーも動かない。やむを得ず電車の
動くのを車内で待った。ようやく6時頃に動き出したが、
一駅走っては時間待ちを繰り返し、結局新橋のオフィスに
着いたのは夜の11時になっていた。
テレビのニュースは本当のことであった。27万5千V
の鉄塔が、雪によって倒壊したのだ。創立以来、初めての
大事件である。ここから雪との長い長い戦いが始まった。
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