コンピュータの思い出(その5)2005年07月05日 20:22

 まずデータベースを構築する基本のアプリケーション
ソフトを選ばなければならない。我々シロウトでも簡単
に使いこなせ、日本語が使え、最低でも1レコードあた
り512文字が収まらなければならない。しかも、その
データベースを、我々が加工処理できるものでなければ
ならない。

 パソコン本体の機種は何でも良かった。とにかく我々
の要求仕様を満足してくれるソフトを探した。当時は各
パソコンメーカーが自社機の標準ソフトとして、専用の
DBソフトを装備していたが、どれも満足するものでは
なかった。

 そんなある日、晴海のビジネスショーでパーソナルビジ
ネスアシストという、小さなソフト会社の若き社長、新井
明夫氏と出会った。その会社では”PC-PAL”という
パソコン用の汎用データベースソフトの開発をしていた。

 さっそくこちらの要求仕様を説明した。当時まだANK
(アルファベット・ニューメリック・カナ)だけしか対応
していなかった”PC-PAL”をバージョンアップして
こちらの要求仕様を満たすことを約束してくれた。しかも
無料で。彼もそろそろ日本語処理の時代になることを察知
していたのだろう。

 バージョンアップには、それほど時間はかからなかった。
その間、社内から有志を募りプロジェクトチームを立ち上
げ、設備管理のデータベースデザインを進めていた。鉄塔
電線・がい子・基礎・環境情報、これらを1レコードあた
り512文字に収納する工夫を重ねた。文字数の関係から
圧縮したり符号化したりもした。

 メンバーの血の滲むような努力で、何とかデータベース
のデザインができあがった。基本のDBソフトも完成した。
しかし、世の中はそんなに甘くはない。我々の前に次なる
関門が控えていた。