コンピュータの思い出(その1)2005年07月01日 18:52

 昨日電子辞書が届いた。息子が私の誕生日にとプレゼ
ントしてくれたものだ。今、中国語の勉強に力を入れてい
る私にとって、大変ありがたい。一緒に学んでいる皆さん
の何人かは、既にお持ちになっており、大変便利そうに
使われている。私も買おうかどうか迷っていたところだ。

 何が良いかと聞かれた時、それじゃあ一番いいものをと
ネットで各社の電子辞書を調べてみた。キャノン、シャー
プ、NECなど沢山出ているので、どれが良いのか目移り
してしまう。結局中国語の機能でCASIOのEX-WORD
を選んだ。XD-LP7300という機種で、小学館の中日
辞典と日中辞典を収めており、音声も出る。かなり中国語
に力を入れている。

 日本語機能も充実している。広辞苑や逆引き広辞苑
漢字源、故事ことわざ辞典、四字熟語辞典、カタカナ語の
新語辞典もついている。私にはあまり用はないが英語も
すごい。ジーニアス英和大辞典、同和英辞典、ロングマン
の現代アメリカ英語辞典もある。おまけにマイペディアの
百科事典までついている。

 昭和50年代の末頃に業務の機械化を任され、晴海の
ビジネスショウを漁っていた頃を思い出す。あの頃のパソ
コン市場の最先端機種は、NECの98シリーズだった。
他社を圧倒していた。今では信じられないが、当時日本
語でのデータ処理は極めて難しいとされていた。

 そして、業務の機械化といえば大型コンピュータの独壇
場であった。ユニバック、FACOM、HAITACなどなど超
一流企業の激しい争いの最中であった。容量、処理速度
周辺機器の充実、どこから見てもパソコンの出番など無か
ったのだが・・・。

コンピュータの思い出(その2)2005年07月02日 21:33

 私が任された業務の機械化は、ある部門の設備管理
業務であった。辞令をもらった本店の課長に、私の任務と
前任者からの引き継ぎを問うと”前任者はいない。何をや
るかを考えるのがあなたの任務です。”という答えだった。

 他の部門は、既に大型コンピュータでの機械化が始ま
っており、日々忙しそうにそのメンテナンスやバージョン
アップに追われていた。彼らを横目に見やりながら私は
日々悶々と過ごしていた。自分は一体何をやるべきか、
何をツールとすべきなのか。そのヒントを得るため、当時
流行り出してきた晴海や池袋のビジネスショウの会場を
歩き回った。

 入社以来色々な仕事をやってきたが、今回の仕事は
これまでに無い試練であった。忙しくて休む閑もない仕事
もつらいが、何をやっていいのか解らない、日々進捗の
見えない仕事は、もっとつらい。当時の本店は、誰もが
みんな仕事に追われていた。周りには出力を催促する
人はいても、相談に乗ってくれる人は見あたらなかった。

 これまで給料日がこんなにつらいと思ったことはない。
自分が何もしないのに給料日はやってくる。何も出力
しないのに給料が支払われる。周りの仲間達は、毎日
忙しげに立ち働いている。給料日がやってくるのが怖か
った。引き出しの中には”あせるな”と大きく書いた紙を
忍ばせ、こっそりと眺めていた。

 私はただ漠然と、これまでの様な大型コンピュータだけ
に頼った機械化はしたくなかった。従来の機械化は第一
線現場の人達が、日々発生する情報をパンチカードや
マークシートに記入し、本店に持ち込み大型コンピュータ
で一括処理し、生み出された情報の活用は本店主体で
あった。

 これじゃあない。これからの機械化は、こんな方法では
ないはずだ。毎日発生する新鮮な情報に、的確に追従
するためには・・・。

コンピュータの思い出(その3)2005年07月03日 22:55

 着任してから約半年間、ビジネスショーを歩き回りなが
ら他業種の業務機械化の実態を学んだ。もちろん自社の
第一線現場を廻って、現場の人達の意見も聞いた。そし
て漸く自分の考える業務の機械化というものを、一冊の
レポートとして纏め上げた。

 情報の発生箇所であり、維持更新処理の実施箇所で
もある第一線現場が機械化の恩恵を得られること。その
為には第一線現場にコンピュータを設置すること。そして
コンピュータの使用はもちろんのこと、メンテナンスも含め
て第一線現場の社員自らが行うこと。

 この計画書を提出すると、さっそく各関係箇所から厳し
い詰問が浴びせられた。これまでの当社の設備管理に
於ける情報処理業務は”情報システム部”なる専門の
部門が、一切を取り仕切り、本店や主要支店に設置され
た大型コンピュータを使って一括処理していた。

 入力媒体はパンチカードやマークシートで、設備が更新
される都度、設備所管箇所が起票し、本店で処理してい
た。処理内容は形態別・仕様別の設備数量管理である。
主な成果品としては設備台帳や資産カードである。

 この様な処理を大型コンピュータに代わっておもちゃの
様なパソコンで処理しようというのだから、当時は誰もが
訝しんだ。しかも、これまでコンピュータなど使った事の
ない非情報処理部門の社員が直接運用するというのだ。

 私は何度も部門の上司に計画の内容を説明し、必死に
説得に務めた。残念ながらあまり興味が無いようだった。
というよりも、機械化自体にあまり積極的ではなかったよ
うだ。今では考えられないが、当時は機械化を進めるに
要する費用に見合う、人員の削減が求められていたから
だ。自部門の要員維持が至上の命題と考えていた彼に
とって、機械化は歓迎されざるものであったのだ。

 はてさて、この先一体どうしたものか・・・。