コンピュータの思い出(その8) ― 2005年07月09日 20:36
チームを立ち上げてから半年が経った。みんなBASIC
をマスターしていた。目標のプログラムも、大分出来上が
ってきた。テストデータを使ってのデバッグ作業も、順調に
進んでいる。そろそろパソコンで作ったデータを、ホスト
コンピュータで加工するソフトの開発を、情報システム部
に依頼する時期が来た。
プロの集団である彼等にとって、データの仕様が明確に
さえなっていれば、20万件程度のデータの加工処理は
朝飯前である。データを集計し、結果にもとづいて各種の
帳票(設備要覧など)を作成するだけである。
ところがそうは簡単に行かなかった。パソコンのデータ
をホストコンピュータが読めなかったのだ。当時、大型機
ではエビスディックコードを使用しており、パソコンのアス
キーコードは文字化けしてしまい、まったく使い物になら
なくなってしまったのだ。
シロウト集団の我々には、まったく予期していなかった
ことだった。当然、プロ集団が解決してくれるものと要請
したが受け入れてもらえなかった。彼等も経験がなかった
のだ。ショックだった。このままでは今までの苦労が水泡
に期してしまう。どうすればいいのか・・・。
そんな時、偶然眺めていた雑誌から天の救いが舞い降
りた。雑誌の名前は”OH!PC”である。アスキー社が
出版していた。両コードの対比表が掲載されていたのだ。
何のことはない、これによれば”8080”を加減することに
より、双方のコード変換ができるのだ。
すぐに変換ソフトを作成した。さっそくテストデータをプロ
集団のホストコンピュータに持ち込んだ。果たして・・・。
をマスターしていた。目標のプログラムも、大分出来上が
ってきた。テストデータを使ってのデバッグ作業も、順調に
進んでいる。そろそろパソコンで作ったデータを、ホスト
コンピュータで加工するソフトの開発を、情報システム部
に依頼する時期が来た。
プロの集団である彼等にとって、データの仕様が明確に
さえなっていれば、20万件程度のデータの加工処理は
朝飯前である。データを集計し、結果にもとづいて各種の
帳票(設備要覧など)を作成するだけである。
ところがそうは簡単に行かなかった。パソコンのデータ
をホストコンピュータが読めなかったのだ。当時、大型機
ではエビスディックコードを使用しており、パソコンのアス
キーコードは文字化けしてしまい、まったく使い物になら
なくなってしまったのだ。
シロウト集団の我々には、まったく予期していなかった
ことだった。当然、プロ集団が解決してくれるものと要請
したが受け入れてもらえなかった。彼等も経験がなかった
のだ。ショックだった。このままでは今までの苦労が水泡
に期してしまう。どうすればいいのか・・・。
そんな時、偶然眺めていた雑誌から天の救いが舞い降
りた。雑誌の名前は”OH!PC”である。アスキー社が
出版していた。両コードの対比表が掲載されていたのだ。
何のことはない、これによれば”8080”を加減することに
より、双方のコード変換ができるのだ。
すぐに変換ソフトを作成した。さっそくテストデータをプロ
集団のホストコンピュータに持ち込んだ。果たして・・・。
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