「典故300則」その270 ― 2013年06月17日 10:11
今日の主人公は王孫賈 、衛の霊公の大夫となった名臣である。 彼が若い頃
師に問うた下りが論語に記されている。 “王孫賈問曰。與其媚於奧。寧媚於竈。
何謂也。子曰。不然。獲罪於天。無所禱也。” その意味は“王孫賈が先生に尋
ねた。 奥の神様に媚びるよりは、むしろ竈(かまど)の神様に媚びよ、という諺が
ありますが、先生はどう思われますか。 先生は言われた。その諺は、間違って
います。 竈の神や部屋の神よりも、最高の天に対して罪をおかしたら、どこにも
祈りようはないものです。”
奥の神様に媚びるよりは、むしろ竈(かまど)の神様に媚びよとは、君主に媚び
るよりは、権臣に媚びよとの謎である。
典故300則その270:倚门 yi men
戦国時代、斉の国に王孙贾という者がおり、彼が15歳の時斉王の家臣となり、
その後斉の大夫になった。ある日、斉王が失踪し、あちこち探しても見つけられ
なかった。王孙贾が家に戻ると、母が言った。“あなたは早朝出かけて夜に戻る、
私は一日中門にもたれてあなたを待つ。そしてあなたが夜出かければ、私は路
地に出てあなたの帰りを待ち望む。でも、あなたは今斉王に仕えていて、斉王は
まだ見つかっていない。あなたは戻ってくるべきではない。” 母の話に王孙贾は
痛み入り、彼はあちこち聞き回って、とうとう斉王を探し出した。
“倚门”のもとの意は門にもたれて待つこと、その後派生して父母が娘の帰りを
待つ切ない気持ちをあらわすようになった。
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