縄文時代を再現:その32005年08月29日 21:57

 まず最初は解体作業である。再び組み建てられるよう
写真やスケッチでポイントをしっかりと記録しておく。
ゆっくりと丁寧に解体して行く。草蔓の補充も必要である。
みんな教室で見せる顔とは違って、嬉々として作業に
没頭している。

 解体と材料の仕分けは二日で終わった。三日目からは
いよいよ現地に乗り込んでの作業だ。”遣り方”のための
測量機器やら掘削のためのツルハシやスコップ、そして
後部座席からあぶれた作業員(生徒)をトラックの荷台に
積み込み、目的地の小学校まで20分ほど走る。

 先方での最初の仕事は、まずご挨拶である。職員室に
整列して教職員の皆さんに、今日から作業で校庭に立ち
入ることを説明し、一人一人簡単に自己紹介する。心配
していたが、みんななかなかいい挨拶をしていた。もち
ろん規反行為者であることは伏せてある。

 毎日授業が終わると全員作業服に着替えて中庭に集合
する。誰一人遅れる者はいなかった。まるでピクニック
にでも出かけるような雰囲気である。最初は遠巻きに見
ていた子供達も次第にうちとけてきて、休憩の時間には
一緒に遊んだりしていた。

 子供達の前では、みんないいお兄さんを演じていた。
最初は演技だったのかもしれないが、彼等の顔が日に日
に和らいできた。三日もすると子供達も、仕切りの中に
入ってきて一緒に作業を手伝うようになった。作業場は
毎日子供達の笑い声で溢れていた。

 ここへ乗り込んでから一週間、とうとう完成した。囲炉裏
もきちんと掘って周りには蛙の薫製も並べた。土器も運び
込んだ。彼等の表情は実に晴れ晴れとしていた。しかし
さすがに手伝ってくれた子供達との別れは少々辛かった
ようだ。

 人は誰も人から見られていると、悪いことはできない
ものだ。まして純真な子供達の視線を浴びていればなお
さらのことである。彼等の反省活動としても十分な成果が
得られた。私の目論見は成功した。今回の移築の申し
入れをしてくれたことを心から感謝した。

 この様子は、後日読売新聞の地方版に写真入りで紹介
された。彼等は今、立派な社会人となって活躍している。