三国志(その2)2006年06月01日 22:41

< 曹操猛徳の肖像 >

 三国志の悪役”曹操猛徳”は異能の人であった。武将
であり政治家、そして優れた詩人でもあった。それまで
のしきたりや格式といった既成概念を打ち壊し、登用す
る人間の”技”そのものを冷静に評価し重用したが、その
あまりの合理性ゆえに”治世の能臣、乱世の奸雄”と評
された。

 中華思想の中心であった儒教を否定し、孔子の子孫で
ある孔融を処刑した曹操は、退廃した叡山の僧兵達を見
て”仏は単なる木石である”と言い放って、比叡山を焼き
払った織田信長によく似ている。ただし切れ長で端正な
顔立ちの信長に比べ、彼は背が低く不男であったようで
外見はあまり似ていなかったようだ。

 その曹操が官渡の戦いに勝利して呉を滅ぼし、勢いに
乗って赤壁の戦いに向かう船上でこんな詩を詠っている。

  対酒当歌:酒に対しては当(まさ)に詠うべし。
  人生幾何:人生幾ばくぞ。
  譬如朝露:譬えば朝露の如し。
  去日苦多:去りし日は苦しきことのみ多かりき。

 この後、諸葛亮孔明の呼ぶ神風によって劉備・孫権の
連合軍に大敗することを予見するかのようである。