「典故300則」その298 ― 2013年07月17日 06:53
今日の言葉は“自負”。本来“自ら責任を負うこと”を意味する言葉だが、転じ
て“自慢”や“慢心”、“自惚れ”など、責任を忘却した“我褒め”だけの輩が自ら
使うようになってしまった。
典故300則その298:自負 zi fu
秦朝末期、劉邦はある時罪人の一団を護送して、骊山の修陵墓へ向かった。
途中、劉邦はその罪人達をみな逃がしてやった。その内十数名の青年や壮年
の者が、劉邦に従いたいと願い出たので、劉邦は彼らを連れて小道を進んだ。
ある者が道を遮る一匹の大蛇を見つけた。劉邦は酔った勢いで剣を振るって
その蛇を真っ二つに切ると、振り返りもせずに進んでいった。何人かの者が蛇
を見に戻ると、其処で泣いている一人の老婆を見かけた。彼女が言うには“あ
の蛇は彼女と白帝の子で、さっき赤帝の子に殺されました。”言い終えるとすぐ
にいなくなってしまった。
ある者がこの事を劉邦に告げると、劉邦は“乃心独喜,自负,诸从者日益畏
之”、その意味は、“密かに喜び内心期待し、この事が、付き従う者達の彼への
畏敬の念が更に増した。”
“自”は自分のこと、“負”は頼ること。 “自負”は今では自分のことを立派だと
思い、非凡であると自任することを喩える。
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