「典故300則」その292 ― 2013年07月11日 09:28
最近の中国の造語に“裸官:luguan”という言葉がある。直訳すれば裸の役人
ということだが、いったいどんな意味なのか。私利私欲を追わず 私財を蓄える事
を良しとせず、全てを国と民に捧げる清廉潔白な官僚。・・・ではなく、立場を悪用
し、国や民から不正に搾取した財を 家族とともに海外に移し、自分は身ひとつで
いつでも脱出できる“裸”の状態に置いている腐敗官僚のことを言う。驚いたこと
に、この“裸官”の数は、100万人を悠に超えるという。
典故300則その292:中饱 zhong bao
赵简子は春秋末期の晋の筆頭大臣である。ある時、薄疑という人が彼に“君之
国中饱”と言った。赵简子はこれを聞いて、薄疑が彼が治める地の民が富んでい
ると褒めていると思い内心喜んだが、口ではわざと問い返した。 “あなたは何が
言いたいのか?”
薄疑は答えた。“私が言いたいことは、上を見れば国庫は空であり、下を見れば
民は貧困に喘いでいるが、中にいる役人だけは富み栄えているという現実です。”
赵简子は納得し、薄疑は役人たちが国と民の間で利益を搾取している現状を改め
るよう彼に提言した。
以来 “中饱”、“中饱私囊”は財物を取り扱う人間が、その中から搾取横領し、私
することを喩える。
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