「典故300則」その70 ― 2012年10月31日 07:25
人が不退転の決意を表す時、“一命を賭して”という言葉を屡々用いるが、
現在の日本のリーダー達が口にするのを聞く時、極めて重厚な言葉にも拘
わらず、この上なく軽薄な響きを伴って聞こえる。 今日の主人公は紛れも
なく“一命を賭して”国に身を捧げた男の話である。
典故300則その70:发难 fa nan
春秋時代、晋の赵鞅と赵午は一族の兄弟で、いずれも晋の大夫であった。
ある時、二人の兄弟は五百戸の朝貢のことで激しく口論となって、その結果
兄の赵鞅は弟の赵午を殺してしまった。赵午の子赵稷と家臣の涉客はすぐ
に反乱を起こし、赵鞅は形勢が危うくなった。
赵鞅の家臣董安于は赵鞅に早く制圧するよう勧めた。晋の大夫梁婴父は
董安于を嫌っており、すぐに権臣の知文子に言った。 “不杀安于,始终为
政于赵氏,赵氏必得晋国,盍以先发难也讨于赵氏?”その意味は“董安于
を殺さないといけない、これまで彼等(赵午と赵稷)は一貫して赵家のために
働いており、赵氏はきっと晋を手に入れることが出来るのに、どうして彼らを
真っ先に謀反の罪名を着せて討伐できますか?”
董安于はこの話を聞き直ちに赵鞅に言った。“私の死が晋と赵氏の安寧の
為になるなら私はもう生きている理由がありません。” 言い終わるとすぐに
首を吊って自殺した。
“发难”の本来の意味は反乱を起こすこと、今でも面倒を起こすこと或いは
反抗することの喩えに用いている。
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