「典故300則」その286 ― 2013年07月04日 07:55

今日の主人公は南宋末期の名将文天祥。 張世傑、陸秀夫と並んで亡宋の
三傑といわれ死ぬまで母国への忠誠を貫いた男である。20歳の時科挙を首
席で合格するほどの優れた頭脳の持ち主で、将才はもとより文才にも長けて
いた。
典故300則その286:正気 zhong qi
文天祥は南宋の有名な英雄である。元軍が南宋に侵攻し、文天祥は強行に
抗戦を主張した。 その後戦に敗れ捕虜となり、燕都に護送され牢に四年の間
閉じこめられた。 この間、元の皇帝忽必烈は彼が投降するよう何度も脅したり
利で誘ったり(威逼利诱)した。 文天祥は激高して大義を凛然と唱え、(慷慨陈
词)死ぬまで投降しないことを誓った。 元はやむを得ず優れた武将である文天
祥を殺すしかなかった。 処刑される一年前、文天祥は獄中で意気盛んな故国
を謳った<正気歌>を書いた。 詩には古の正義のために戦った人々の、節度
ある民族の気概と崇高な信念を著していた。
“正気”とは純粋な気持ち、中国医学では人間の回復力を言い、今では人の
思想を喩え、品行方正なことを“一身正気”と言うようになった。
「典故300則」その287 ― 2013年07月05日 08:06

今日の主人公は名君と謳われた北宋の太祖“趙匡胤:ちょう きょういん”。当時
の通例となっていた政敵の虐待抹殺を良しとせず、温情を持って政を治めた。
南漢最後の君主劉鋹は、屡々毒酒をもって臣下を毒殺していた。 彼は趙匡胤
に降伏して巡幸に従った時、趙匡胤より酒杯を勧められると 自身を毒殺しようと
してるのではないかと思い、泣きながら“私の罪は決して許されるものでありませ
んが開封の庶民として泰平の世を過ごさせてください。 どうかこの酒杯を飲ませ
ないでください”と言った。これに対し、趙匡胤は笑って“自分は人を厚く信頼して
いる。どうして汝だけ信じないことがあろうか”と言い、その酒杯を飲み干し新しく
酒を酌み劉鋹に飲ませたという。
典故300則その287:之乎者也 zhi hu zhe ye
宋の太祖赵匡胤が、ある時 朱雀門の前に来て門の額に書かれた“朱雀之門”
の四文字を見上げ、傍にいた大臣の赵普に問うた。朱雀門にはなぜ“朱雀之門”
と書いてあるのか、あの“之”の字にはどんな意味があるのか?
赵普が答えた。“之”は助詞(てにをは)です。 赵匡胤は大笑いしながら言った。
“之乎者也などは虚字であり、どんな助けとなるというのか?”
その後、人々は“之乎者也”を文人が字面にばかりこだわり(咬文嚼字)実を求
めない(内容を重視しない)ことを喩えるようになった。
「典故300則」その288 ― 2013年07月06日 09:03

今日の主人公は、“断琴の交わり:非常に親密で深い友情”という言葉の故事
となった“俞伯牙”。 晋の上大夫(外交官)という重職にあったが、琴の名手とし
ても高名を博していた。
典故300則その288:知音 zhi yin
春秋時代、楚の国に俞伯牙という音楽家がいた。 ある時、彼が船の上で琴を
弾き月を愛でていると钟子期という薪取りの若者が琴の音を聞きにやって来た。
俞伯牙が言った。“私が一曲弾きましょう。 あなたは私が何を想って弾いている
のか聞いてみて下さい。”
弾き終わると、钟子期が言った。“あなたは高く聳える山を想っています。”俞
伯牙が、もう一曲流水を表現した曲を弾くと、钟子期が言った。 “あなたは滔々
と流れる流水を想っています。”
俞伯牙が喜んで言った。“あなたは本当に私の音楽を知っている!” 二人は
延々と音楽を語り合い、ともに兄弟の契りを結び、来年俞伯牙が钟子期の家を
訪ねることを約束した。二年が経ち、俞伯牙が钟子期の家を訪ねると钟子期は
既に亡くなっていた。俞伯牙は钟子期の墓前で葬送の曲を奏で、弾き終わると
その琴をたたき壊してしまった。
その後、人々は“知音”を、音楽を愛好する人、あるいは理解し合っている友
を喩えるようになった。
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以後、彼は生涯琴を弾じることはなかったという。
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