「典故300則」その296 ― 2013年07月15日 08:03

秦が滅亡した時のことを史記・淮陰侯列伝に“秦失其鹿,天下共逐之:秦が
その鹿を失い、天下共に之を追う”と記されている。 日本でも古くから鹿は神
の使いとして、あるいは天子そのものとして篤く保護されてきた。
典故300則その296:逐鹿 zhu lu
姜太公はかつて周の文王に言った。“取天下若逐野鹿。”これは“政権を取
るのは一頭の鹿を追うようなものです。”という意味である。 後世の人は“鹿”
を政権や天下、王位などに用いている。
劉邦と項羽が天下を争っている時、韓信は初め項羽に従ったが、その後劉
邦に帰順した。 策士の蒯通が劉邦から離れて単独で項羽や劉邦と天下を争
うことを勧めたが、韓信は応じなかった。
その後、韓信は劉邦の妻の吕后の手によって殺された。 死に面して韓信は
長嘆してひとこと言った。“以前の蒯通の話を聞かなかったことが本当に悔や
まれる、今は女の手によって殺されるのか。”
劉邦は蒯通を殺そうと彼を捕らえた。蒯通が言った。 “秦朝は没落し、力の
ある者は皆天下を狙う。あなたの力は最強であり天下取りに勝利するでしょう
が、まさかあなたは天下取りに参加した者を全て殺すのではないでしょう。”
後に“逐鹿”、“中原逐鹿”は戦場を駆けめぐり、互いに覇を競うことをたとえ、
“鹿死谁手”は勝敗のわからないこと、今ではスポーツの試合を喩える。
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