「典故300則」その712012年11月01日 07:13


 “冷や飯”という言葉がある。冷遇されたり不当な扱いを受けた時“冷や飯

を喰わされる”などと言うが、今日は“冷や飯”さえ食べられなかった男の話。

 典故300則その71:饭后钟 fan hou zhong

 唐の大臣王播は子供の頃とても貧しく、両親は亡くなり生活はままならず、

扬州にある惠昭寺の木兰院の中に住み、僧侶といっしょに食事をした。時

が経つと僧侶は彼を嫌い始めた。以前寺では食前に鐘を撞いたが、王播に

食べさせないため食後に鐘を撞くよう改め、王播が鐘が聞こえるのを待って

食事に来ると、皆すでに食べ終わり去っていた。

王播はこの侮辱に耐えられず寺を離れざるを得なかった。 二十年後、王播

は高官になり、かつて住んでいた寺へ行った。 以前彼が書いた字が、既に

青い布で覆われているのを見た。 王播は感慨を覚え、すぐに二首の絶句を

詠んだ。

 その一つは“寺に来れば既に客も主もいない。僧は食後の鐘を恥じる。二十

年来の埃が顔にあたり、今青い布で覆い始めた。”、“阇黎”とは僧侶のこと。

 以来、“饭后钟”は冷遇される人を喩えるようになった。

「典故300則」その722012年11月02日 07:44


 今、私は“Gyao!”の無料動画で中国ドラマ“大秦帝国”を観ている。弱小

国家であった秦が、初めて中国全土を統一した礎となったのは強固な組織

運営と法制度の徹底であった。君主孝公と参謀商鞅の堅い絆があればこそ

成し得たものである。

 いつの世も改革にブレーキをかけるのは既得権益者であり、豪商・貴族の

類である。彼等は甘言を持って権力者に近づき、為政者を惑わす。 甘言を

退け、諫言に耳を傾ける度量を持つ君主は聖君の道を歩み、甘言に溺れる

君主は暴君や暗君と呼ばれるに至る。

 典故300則その72:犯颜 fan yan

 春秋時代、斉の桓公は管仲に役人達の割り振りを任せていた。管仲は建

議した。“弦商は高潔で貪らず、また人情や世事もわきまえており彼は法務

大臣の任にあてることができます。隰朋は儀礼に明るく外務大臣に相応しい。

公子成父は兵士達を纏めることに長けており、国防大臣に適している。”

 管仲は最後に言った。 “犯颜极谏,臣不如东郭牙,请立以为谏臣。治齐,

此五子足已;将欲霸王,夷吾在此。” その意味は “君主の怒りに触れても

敢えて君主を誠心誠意諫めることができる、东郭牙に私は及びません、どう

ぞ彼を参事官に任命して下さい。斉の国を統治するには、この五人の大臣が

いれば十分です。もしも、覇王となりたければ、私管夷吾がいます。”

 “犯颜”とは、敢えて君主の機嫌、或いは先輩の尊厳を損ねることの喩えと

なった。

「典故300則」その732012年11月03日 08:10


 今や世界中に蔓延るコンビニエンス・ストア、日本にもセブンイレブン、ファミ

リーマート、ローソン、サンクス、サークルK、ミニストップなどのフランチャイズ

店が乱立している。 ご他聞に漏れず中国にも展開され“方便店”、“便利店”

などという看板が掲げられている。今日は、その“方便”の語源を探る。

 典故300則その73:方便 fan bian

 “方便”,“方便门”は、いずれも仏教の教典から出たもので、もともと仏教用

語で“融通が利く方法、生きる者全てを仏の道に導くこと。” その後、派生して

“方便之门”となり便宜とチャンスの喩えとなる。

 法華経の方便品の中に言う。“我、仏になって以来いろいろな縁、さまざまな

喩え、広範な教え、無数の便宜、真実を示す。” 隋代の智者大師の法華経の

中にも“開方便門、示真実相”の記述が有る。