「典故300則」その71 ― 2012年11月01日 07:13
“冷や飯”という言葉がある。冷遇されたり不当な扱いを受けた時“冷や飯
を喰わされる”などと言うが、今日は“冷や飯”さえ食べられなかった男の話。
典故300則その71:饭后钟 fan hou zhong
唐の大臣王播は子供の頃とても貧しく、両親は亡くなり生活はままならず、
扬州にある惠昭寺の木兰院の中に住み、僧侶といっしょに食事をした。時
が経つと僧侶は彼を嫌い始めた。以前寺では食前に鐘を撞いたが、王播に
食べさせないため食後に鐘を撞くよう改め、王播が鐘が聞こえるのを待って
食事に来ると、皆すでに食べ終わり去っていた。
王播はこの侮辱に耐えられず寺を離れざるを得なかった。 二十年後、王播
は高官になり、かつて住んでいた寺へ行った。 以前彼が書いた字が、既に
青い布で覆われているのを見た。 王播は感慨を覚え、すぐに二首の絶句を
詠んだ。
その一つは“寺に来れば既に客も主もいない。僧は食後の鐘を恥じる。二十
年来の埃が顔にあたり、今青い布で覆い始めた。”、“阇黎”とは僧侶のこと。
以来、“饭后钟”は冷遇される人を喩えるようになった。
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