「典故300則」その2902013年07月08日 06:47


 古代中国の郡県制について。中央政権のトップは皇帝であり、国家はいくつ

かの州から成り、州のトップは州牧と呼ばれた。 また、州の中にはいくつかの

郡があり、郡のトップを太守と言った。郡は、さらに幾つかの県に分かれており、

県のトップを県令と呼んだ。

 典故300則その290:只许州官放火,不许百姓点灯
 zhi xu zhou guan fang huo bu xu bai xing dian deng

 北宋時代、田登という州の太守がいた。 彼の名前に“登”の字があったので

命令を下し、庶民が話をする時、“登”の字と同じ音の字を使うと刑に処せられ

ることになった。

 正月が来ると、風習として三日間花火を打ち上げ、三日間飾り提灯を点け祝

日を祝うよう毎年州府が告示を張り出し、庶民に飾り灯籠を見に来させた。 田

太守が来てからは難しくなり(登と灯のピンインは共にdeng) 役人は告示を出

しにくくなって、あれこれ思案したあげく 告示を“此処では例年通り三日間放火

せよ。”と書いた。 余所の土地の人は 驚き官府の者が本当に三日間放火する

と思い、驚いて我先に(争先恐后)逃げ出した。

 この地の民は、もとより田登の専横に不満で、彼を皮肉混じりに風刺し“此処

では州の長官は放火しても許されるが、庶民は明かりを点すことさえ 許されな

い。” この言葉は、後に役人の乱行によって 庶民の正当な権利を制限される

喩えとなった。