十八史略語録(その3)2006年01月12日 20:39

 宋の襄公が楚の国と戦った時の話である。息子の目夷
が「楚軍の陣立てが整わない、今のうちに討つべき」と
進言したが、襄公は「我人を阨に苦しめず:私は人が窮地
に陥っている時につけこむことはしない、君子は堂々と
勝負をするものだ」と云い、結果して戦機を逸して楚に
破れてしまった。世人これを笑って”宋襄の仁”と云う。

 呉王”夫差”は、越との戦いで父を失った。この恨み
を晴らさんと、臣に命じて部屋を出入りする度に「お前
は越王”勾践”が父を殺したことを忘れたか!」と云わ
せ、毎日薪の上に寝た。そして、遂に越を打ち破ること
ができた。

 破れた”勾践”は会稽山に籠もり「自分は大王の奴隷
になる。妻も女奴隷になるから命だけは助けてくれ」と
大臣の”嚭”に賄賂を贈り、呉王”夫差”へ助命を説か
せた。

 許された”勾践”は、「お前は会稽の恥を忘れたか」と
自らを戒めるために、自分の部屋に何時も熊の肝を置き
これを嘗めて毎日復讐を忘れぬようにした。

 長い間辛抱を重ね、家臣の”范蟸”と共に計画を練り
二十年後、見事会稽にて”夫差”に和議を乞わせること
が叶った。世人これを評して”臥薪嘗胆の末、会稽の恥
をそそぐ”と云った。もちろん呉王夫差は許されず自害
して果てた。