不用と芙蓉2006年09月26日 22:03

< 咲いたばかりの白い芙蓉と一夜明けた赤い芙蓉 >

 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ 丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ 
      行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
      ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
      サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
      ホメラレモセズ クニモサレズ
ソウイウモノニ ワタシハナエリタイ

 日本人なら、誰でも一度は読んだことのあるだろう宮沢
賢治の”雨ニモマケズ”である。

 広辞苑で”ふよう”という字句を検索すると、最初に出て
くるのは”不用”ということばである。”いらないこと、用の
ないこと”とある。

 そして”不要、付庸、扶養”の後に、”芙蓉”ということば
が出てくる。”芙蓉”はハスの花の別称でもあり、美人の
たとえにも用いられることばで、美しいものへの敬称とな
っている。あの日本人の誇りである霊峰富士も”芙蓉峰”
と呼ばれている。

 宮沢賢治が目指したものは、”不用”かつ”芙蓉”な人生
だったのかもしれない。