「典故300則」その95 ― 2012年11月29日 07:50
今日の舞台は春秋戦国時代の趙、首府はあの“邯鄲の夢”で知られる邯鄲
である。亡国の危機に面した時、人はどう対処するのか。
典故300則その95:瓜分gua fen
戦国時代、秦は趙を打ち破った後、趙に人を派遣して趙の国を六つに割譲
すれば講和できると迫った。趙王は即座に決めることができず楼缓に諮った。
楼缓は割譲して秦に与えるよう建議したが、能弁家の虞卿は同意せずに言っ
た。“楼缓は甘言を並べて(花言巧语)大王を騙しており、彼は秦国の為に言
っているのです。割譲して秦に与えるよりも、六つの城(街)を強大な斉に与え
連合して秦を攻める方が良いでしょう。”
楼缓は言った。“そうではない、天下の将達は秦の勢いによって趙に乗り込
み衰退させ、分割される。趙はやがて滅び、何秦之图?”その意味は“さもな
くば諸侯達は強大な秦の力を借りて火事場泥棒を働き(趁火打劫)、趙の国
国を割譲し趙はすぐに滅亡してしまう、如何にして秦に対処できるのか?”
その結果趙王はやはり虞卿の意見を聞き入れ、そして彼を使節として斉に
派遣した。楼缓はやむなく逃亡するしかなかった。
“瓜分”は国土あるいは財物を西瓜を切り分けるように分割されることを喩
える。
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