「典故300則」その84 ― 2012年11月16日 07:56
今日は“付け馬”の話。日本の“付け馬”は遊興費を取り立てる借金取りの
ことですが、中国の“付け馬”はどんな馬でしょうか。
典故300則その84:驸马 fu ma
“驸马”とは、もともと漢の時代の一つの官職であり、正しくは“驸马都尉”と
いい、皇帝の側近である。皇帝が出かける時、いつも沢山の車を連ねて行き、
皇帝が乗った車を正車と呼び、随行者が乗った車を副車と呼んだ。刺客を防ぐ
為であり、副車の外観は正車と全く同じだった。この副車を扱う官職を驸马都
尉と呼んだ。その後、驸马が皇帝を殺そうとした事件が何度も発生し、皇帝達
は、この様にしても安全ではないと思った。
晋の武帝司馬炎の時代の規定によれば、驸马の職位は皇女の夫だけが務
められ、この規定は広く伝わり月日の経つうちに(久而久之)“驸马”は皇女の
夫の代名詞となった。
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