「典故300則」その81 ― 2012年11月13日 08:13
今日のテーマは放蕩息子の復活の話、太甲は王位を剥奪され反省の日々を
過ごすこと三年、諫言を施し彼を反省房に送り込んだ功臣伊尹に迎えられ無事
復位し、善政を施いた。
典故300則その81:复辟 fu bi
夏朝末期、汤は賢人伊尹の助けを得て桀を打ち負かし、夏王朝を滅ぼし、商
王朝を打ち立てた。伊尹は汤王に重用され、後に宰相となった。汤の死後、相
次いで太子の太丁と弟の外丙と中壬が即位したが、彼らも何年も経たぬうちに
世を去った。伊尹は後継者として太丁の嫡子である太甲を即位させた。 しかし、
太甲は汤王が定めた規律を守らず、享楽三昧で政を顧みなかった。 伊尹は諫
言も聞かない彼を、汤王が埋葬されている桐宫に追放して反省させ、自ら国事に
あたった。
太甲は桐宫で三年の間閉門蟄居し、過ちを悔い、改心した。伊尹は再度太甲
を迎え入れ、彼に君主の座を継がせた。太甲の追放から復位までの過程を“复
辟”と言う。“复”は回復、“辟”は君主の事。
“复辟”の本来の意味は、失脚した君主が復位すること、現在では打倒された
統治者が元の地位を取り戻すこと、或いは消滅した制度の復活を喩える。
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