「典故300則」その102 ― 2012年12月07日 08:45

“国是”、国民が認めた、その国の政治の基本的な方針のことである。我が国の
今回の総選挙では国是を決めるための選挙としたいものだ。各候補者は自分の
揺るぎない信念を持って思いの丈を吐露してほしいものだが、当選の為の巧言を
並べるだけの薄っぺらな候補者が乱立している。我々はしっかりと本物を選び出
さなければならない。
典故300則その102:国是 guo shi
春秋時代、楚の国の宰相孙叔敖は倹約家で、謙虚で礼儀正しく思慮深い人で
あった。彼は事にあたって用意周到で、世間の風習に気を配って統治し、楚王の
覇業実現を助けた。 楚王は彼を重用し、いつも彼とともに治世の方法を話し合
っていた。
ある時、二人が長い間話し合った後、楚王がしみじみと言った。 “寡人未得所
以为国是也。”その意味は、どうやら私は本当に正しい治世の方法を、まだ把握
していないようだ。
“国是”は今では国家計画、国策を指す。
「典故300則」その103 ― 2012年12月08日 08:06

嘻嘻(にこにこ),眯眯(にやにや),嘿嘿(にたにた),哧哧(くすくす),哈哈
(げらげら),嘎嘎(きゃっきゃ)、笑い方にもいろいろあります。
典故300則その103:哄堂 hong tang
唐代の制度では官庁は三つに分けられていた。一つは台院で、ここの役人
を侍御史と言い、人々は彼らを端公と呼んだ。二つ目は殿院で、役人を殿中
侍御史と言い、人々は彼らを侍御と呼んだ。 三つ目は察院で、ここの役人を
监察御史と言い、人々は彼らを侍御と呼んだ。
毎回公堂で食べながら会合し、状況を記録する主簿は北側に座し、雑事を
主管する杂端は南側に座した。食事の時は南北に分かれて座り、固く談笑を
禁じた。食後、主簿が言った。“何か(案件が)あれば報告して下さい。”
そこで、台院は杂端に状況を報告させた。 一同は食べるのを暫く我慢して
おり、この時杂端の説明が間違ったので笑いを堪えられず、三院の人たちは
一斉に笑い出した。
この様な場面を“烘堂”と言い、以後“哄堂”と書くようになり、満座の中で一
同が大笑いすることを形容するようになった。
「典故300則」その104 ― 2012年12月09日 09:28

今日のテーマは秦を倒した英雄二人のしのぎ合いの話。歴史に残る「鸿门
の宴」である。 宴席から危うく難を逃れた劉邦はやがて漢帝国を築き高祖と
崇められることになる。
典故300則その104:鸿门宴 hong men yan
劉邦と項羽は天下を争っており、項羽の軍師范增が機会を見つけて劉邦を
殺すよう項羽に薦め項羽も同意した。その情報が劉邦のところへ伝わり劉邦
は自ずと悟り自ら十万の兵で対抗したが、項羽は四十万の大軍であったので
すぐに軍師の张良を伴って鸿门へ到来し、項羽に謝罪の意を表した。
項羽は宴席を設けて劉邦を招いた。范增は宴席で何度も項羽に劉邦を殺す
ようほのめかし、項羽は見ていないふりをした。范增はすぐに项庄を呼び剣舞
で興を添えながら劉邦を殺す機会を窺った。
张良の友の項伯も剣を抜いて项庄に対舞し、密かに劉邦を護った。 张良は
劉邦が危機を逃れたと見てすぐに劉邦を厠に誘い、こっそりと陣中へ戻らせた。
この宴席は密かに劉邦を殺そうとしたものであり、以来“鸿门宴”は客人に危
害を加えることに用いられるようになった。
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