「典故300則」その21 ― 2012年09月12日 07:27

今日のテーマは「高見の見物」、この言葉の陰に「背水の陣」があった
とは・・・。
典故300則その21:壁上观 bi shang guan
秦朝末期、秦国軍が趙国の巨鹿地方を包囲したので、項羽と諸侯の軍
が趙を救うため秦と戦った。項羽軍の戦意は極めて盛んで、漳河を渡る
と船を全て沈め,鍋は打ち壊し、幕舎は焼き払い、三日分の兵糧だけを
持ち、決死の覚悟で臨み、決して後退しなかった。諺の“破釜沉舟”の言
うは、まさにこのことである。その時、項羽の兵力は他の諸侯以上であ
った。救援の諸侯の軍は、十数の陣営があったが、みな秦を恐れて出
兵しなかった。項羽率いる軍が秦を撃つに及んで、諸侯の軍はみな砦の
上から眺めていた。(秦を撃つ楚に及び、諸将みな高見の見物)項羽の
兵は各々一騎が十騎に当たり、喊声は天を震わせ秦軍は大敗し、そして
項羽は諸侯の長となった。
“壁”は砦。“壁上观”の本来の意味は砦の上から傍観する、後に事に
当たって手を下さず、感知もせず、ただ手をこまねいて見ていることを
指した。
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