「典故300則」その142012年09月05日 07:05


 今日の主人公は、春秋時代の弱小国・鄭の宰相子产。中国史上初の

成文法を定め、国の安定に尽力した名宰相である。

 典故300則その14:暴露  

 春秋後期、郑の简公が晋国を訪問した時、大夫の子产が随行した。晋

の平公は郑の国を軽んじ、鄭国の主従を粗末な宿に泊めたばかりか、会

見の時間も知らせなかった。子产は宿の塀を壊させ、馬車を中へ入れた。

晋国の大夫文士伯が急いで宿にやってきて、子产を咎めた。

 子产は言った。“我々は貴国への献上品を持ってきましたが、宿の門が

あんなに狭くては財物を運ぶ事ことができず、また晒したままにもできま

せん。塀を壊さないと馬車を入れることができません。”

文士伯は納得できず、急いで晋の平公に報告した。晋の平公は鄭国の

主従を丁重にもてなす他はなく、献上品を受け取った。

 “不敢输币,亦不敢暴露”の意味は、財物を献上できない、また財物

を日に晒したり雨に濡らすこともできないこと。 “暴露”の語源は日に

晒し雨に濡らすことだが、今では隠し事、矛盾、問題などを暴き出す事

を言う。