仏説摩訶般若波羅密多心経(その10) ― 2005年11月10日 23:08
無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得
○.小乗仏教が教える十二因縁などというものは無いし
また、四諦の教理だってありはしない。そして、大乗
仏教でいう智慧もなければ悟りもない。なぜなら大乗
仏教では悟りを開いても、その悟りにこだわることが
ないからだ。
残り132文字、ようやく半分が過ぎた。
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅密多故
いむしょとくこ ぼだいさった えはんにゃはらみったこ
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
しんむけいげ むけいげこ むうくふ
遠離 一切顛倒夢想 究竟涅槃
おんり いっさいてんどうむそう くきょうねはん
”以無所得故”は、無所得の故を以ってということで
何一つ持っていない、何もとらわれるものがない故にと
いう意味である。
”依般若波羅密多故”は、智慧によって悟りに至ること
が出来る故にという意。
”心無罣礙”は、心に罣礙(さえぎる、さまたげるもの)
が無いということ。
”無罣礙故 無有恐怖”は、心にさえぎるものが無い
から、恐ろしいということも感ずることはないという意。
”遠離 一切顛倒夢想”というのは、一切(凡て)の
顛倒(さかさま)の夢想(夢のような無理な考え方)を
遠離(遠ざけて)という意味である。
”究竟涅槃”は、究竟(究極、無上)の涅槃(理想)に
達するということ。涅槃は、梵語でニルヴァーナの音字で
すべての迷いを脱した平安な心の状態をいう。
無苦集滅道 無智亦無得
○.小乗仏教が教える十二因縁などというものは無いし
また、四諦の教理だってありはしない。そして、大乗
仏教でいう智慧もなければ悟りもない。なぜなら大乗
仏教では悟りを開いても、その悟りにこだわることが
ないからだ。
残り132文字、ようやく半分が過ぎた。
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅密多故
いむしょとくこ ぼだいさった えはんにゃはらみったこ
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
しんむけいげ むけいげこ むうくふ
遠離 一切顛倒夢想 究竟涅槃
おんり いっさいてんどうむそう くきょうねはん
”以無所得故”は、無所得の故を以ってということで
何一つ持っていない、何もとらわれるものがない故にと
いう意味である。
”依般若波羅密多故”は、智慧によって悟りに至ること
が出来る故にという意。
”心無罣礙”は、心に罣礙(さえぎる、さまたげるもの)
が無いということ。
”無罣礙故 無有恐怖”は、心にさえぎるものが無い
から、恐ろしいということも感ずることはないという意。
”遠離 一切顛倒夢想”というのは、一切(凡て)の
顛倒(さかさま)の夢想(夢のような無理な考え方)を
遠離(遠ざけて)という意味である。
”究竟涅槃”は、究竟(究極、無上)の涅槃(理想)に
達するということ。涅槃は、梵語でニルヴァーナの音字で
すべての迷いを脱した平安な心の状態をいう。
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