仏説摩訶般若波羅密多心経(その8)2005年11月08日 01:33

 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 
 むむみょう やくむむみょうじん ないしむろうし
 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
 やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく

 ”無明”は梵語のアビドヤーで、真理に対する正しい
智慧のないこと。これが苦悩や不幸の根本原因であると
している。釈迦は人世の無常、変遷の状況を十二項目
の原因と結果(因果関係)を必然的なものとして説明して
いる。

 十二項目は”無明、行、識、名色、六入、触、受、愛
取、有、生、老死”をあげており”無明”は苦悩の根本的
原因として第一にあげられている。そしてこの”無明”が
原因となっての本能の営みを”行”といっている。

 新しい生命が母親の胎内で養われて精神作用と身体
が発育してゆくのを”識・名色”といい、五体六根が完全
に具わるのを”六入”と名付けている。赤ん坊(生命)は
無明を因とし父母を縁として生まれるが、父母を選んだ
訳でもなく、子を選んということでもない不思議な出会い
というべきものである。

 赤ん坊は育ってゆく過程で水や火にふれたりすることに
なるが、まだ冷たい・熱いという識別のない段階で、これ
を”触”という。そしてものごとに触れているうちに冷暖や
苦楽を感受するようになってゆく。これを”受”と名づけて
いる。

 この感覚が働くにつれ、自分の欲するものに執着する
ようになる。これを”愛”という。そして愛のこころが起こる
と、それを自分のものにしたくなる。これを”取”という。

 以下、次回に・・・。 改天見!