桔梗塚 ― 2013年03月11日 09:21
昨日は市民活動センターが主催するセミナー“龍ケ崎の誇れるもの”を聴講して
来ました。講師は郷土史研究家の鈴木久氏で2月10日から3回に渡って龍ケ崎
の歴史を紹介しているもので最終回の今日はサブタイトル“城下町龍ケ崎、土岐
支配から仙台領へ、撞舞そして文化人のこと”と題した120分のレクチャーでした。
会場には地元の方々は勿論、ニュータウンの新住民の人々も多数出席され、見
渡せば、海老原さん、佐川さん、諸岡さん、小野寺さん等々、顔なじみの面々も詰
めかけ、みなさん身近な郷土の話に熱心に聞き入っておられました。
私の住んでいる藤ケ丘には、近くに“藤ケ丘第三街区公園”という小さな公園が
あり、そこには“桔梗塚”という塚があって、かつての貝原塚城の名残を止めてい
ます。その碑には、織田信長が戦国時代末期、天下統一を目指して破竹の勢い
で京を目指していた頃、地方豪族の龍ヶ崎氏の出城である貝原塚城を、江戸崎
城主土岐治英(はるふさ)が攻めたときの逸話が記されています。
貝原塚城の周囲は深い湿地で囲まれ、江戸崎勢は攻め入る道が見つけられず
攻めあぐんでいました。そこで桔梗という娘を下働きとして城に潜り込ませ、娘は
場内から鏡を使って浅瀬を知らせました。 その結果、貝原塚城はあえなく落城し
土岐治英に降りました。
それ以来貝原塚では“桔梗”の花は植えないのだそうですが、龍ケ崎氏にとって
恨み骨髄の花、“桔梗”を市の花とした経緯(いきさつ)は、どのようなものだったの
か、鈴木先生に是非お伺いしたいと思っています。
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