「典故300則」その1842013年03月05日 09:11


 三国志時代、荊州刺史劉表の長子刘琦は継母に疎まれ国を追われた。

劉表病没後、後を継いだのは少子の劉琮だったが、程なくして南下する魏

王曹操に下った。 一方荊州を逃れた刘琦は劉備によって江夏の主として

盛り立てられた。

 典故300則その184:去梯言 qu ti yan

 三国時代、劉表の妻は前妻の子刘琦を嫌い、いつも劉表の前で彼の悪

口を言っていた。《後漢の書:劉表伝》の中に“琦不自宁,尝与狼牙人诸葛

亮谋自安之术。 亮初不对,后乃共升高楼,因令去梯,谓亮曰;今日上不

至天,下不至地,言出子口而入吾耳,可以言未?” と記述されている。

 その意味は“刘琦の心中穏やかならず、诸葛亮に本音を聞かせてくれる

よう求めたが、初めは承知しなかったので刘琦は高楼の上で诸葛亮に会っ

てくれるよう頼んだ。诸葛亮が昇って来るなり刘琦は人に命じて梯子を外し、

そして诸葛亮に言った。;今日は天にも届かず地にも至らない。貴方の口か

ら出た言葉は私の耳に入るだけで誰にも知られない。あなたは忌憚無く話

すべきでしょう。”诸葛亮は彼に急いで余所へ行くよう薦めた。

 以後、“去梯言”は極秘の話を喩えるようになった。