「典故300則」その592012年10月20日 07:32


 今日はメッキの話。身近なメッキ製品に“トタン”と“ブリキ”がある。 トタンは

鉄の表面に亜鉛をメッキしたもの、ブリキは錫をメッキしたものである。無垢な

ままに生まれた我々人間も、長ずるに連れ金属と同様さまざまなメッキを施す

ようになる。女性のお化粧もメッキ処理のひとつである。

 典故300則その59:镀金 du jin

 唐朝の詩人李绅が淮南の節度使の頃、かつて一度雪見の詩会を開催した

時、若い書生章孝标も招かれ参加した。 宴席で章孝标は一首の詩を詠み、

李绅は彼を褒め称え、一通の手紙を書いて試験官に渡し彼を京城の試験に

行かせた。目出度く章孝标は科挙試験に合格し、校书郎となった。

 彼はいくらか得意になって一首の詩を書いて友人に送った。 “十の官職に

すべて合格し、箔をつけて長安に向かった。馬で揚州の城下に入って行くと、

知らせを聞いた詩人たちが目を見張った。” その意味は“人々は私に対して

刮目すべきである。”

 李绅は丁度この詩を見て直ぐに筆を取って書き述べた。“偽物の金は本物

の金を鍍金するが、もしも純金ならば鍍金はしない。十载长安方一第,何须

空腹用高心。”その意味は“純金には鍍金はしない、君は十年もかかって漸

く試験に合格しただけなのに、どうして腹の中をさらけ出し、自らをひけらかす

のか?”

 “镀金”本来の意味は、鉄の表面に薄く金を被せ輝かせること、今では色々

な手段を用いて自らを飾り立てようとすることに用いている。